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2000年1月

2000年1月27日 (木)

ハッカー


新聞テレビの、官庁ホームページへのクラッキング騒ぎ報道が例によって
例の調子。ハッカーは欧米でも悪い意味で使うようになって来ていて、日本語
では広辞苑やなんかでもクラッカーの意味で使っているって?あれまそうかい。
それにしてもお粗末な報道ぶり、そのへんは河上イチローさんが早速嘲笑して
くれているからそちらを参照。

報道するからにはクラッキングしているのが誰なのかわからない以上、あらゆ
る可能性を考えての記事あるいは放送にしなくてはいけないのに、まったくの
大本営発表(というか、ハッキングされた内容を読むことすらできない記者
じゃあそうならざるをえないか)
おお寒い。

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2000年1月25日 (火)

玉石混淆


俗悪なものである、ジャーナリズムなるものは。
俗悪にして下世話、人の劣情をいやらしく刺激するものである、
たとえば人は人の不幸が大好きである、人が死に泣き辛がる様が大好きである、
もちろん人はセックスが大好きである、セックス記事が大好きである、下半身スキャンダル
が大好きである、自分のことは棚に上げて、いい子ぶるのも大好きだし、今まで
想像すらしたことのない卑猥な記事や写真に興奮することも大好きである、
一方で安っぽい正義だって大好きだし、世の中の本質みたいなものを穿った記事を読んで
目から鱗を落とすのも大好きである。
高尚な趣味だって大好きだったり、ここは一番踏ん張って社会悪と対決したりするのも
大好きである。その一方でころっとファシズムってしまうのだって大好きだ。

ジャーナリズムにすらなっていないロクデモナイ代物、そして一見偉そうな社会の木鐸
様の偽者、地道に調べられた世界の裏側の絵図、さまざまなものが、玉石混淆して
ジャーナリズムだ。
ただし玉がなければ駄目だ、石もなくちゃあつまらない。阿りばかりの、部数や視聴率だけを
向いたものばかりになったとき、そのジャンルの商売は終る。
俗悪な週刊誌の広告を出さない、エセ木鐸(いやホンモノの木鐸ってのもかなりイヤだが)
上等といって対決姿勢の大出版社の週刊誌、じゃあヌードやめてそろそろ硬派雑誌の時代?
なんて嘯く中出版社の週刊誌、2000年は面白い、混乱と騒乱の時代のようだ、
仕事のし甲斐があるもの、ぼくのようなエセ作家には。

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2000年1月22日 (土)

インターネット


歌人の桝野浩一氏が毎日新聞の夕刊でインターネットイヤかも、という素直な
原稿を書いていた。
どこかの掲示板か何かに悪口をかかれてるのを読みそれに反論のメールを
書いたりしたらまさか本人が読んでるとは思いませんでしたって掌返しをさ
れたりしてやだなあ、とか、桝野氏の友人たちなどはどぅやら責任も能力もない
連中が勝手なことを書き飛ばしてけしからんかも、なんていう嫌悪感を
抱いているようだ、なんて内容があった。
モノカキを仕事にしていたりすると、そういうことに違和感を持ったりする
ということ自体は、よくわかる。正直ぼくだって悪口は辛い。キツイ書評
(しかも根拠の無い)を書いてる人にメールを書いたことだってあります。
だから桝野氏の言ってることは、よくわかる。
でもやっぱ、そういうことがあるから面白い、っていうふうに結局思うのだ
った。で、どうやってもっと面白く使おうか、面白い世界にしていくのに参加
していこうか、そういうふうに思ってしまうのだった。
ホームページを作ってると、随分考え方が変わる。眺めているだけじゃあ
わからないし面白くない。武器や道具は使わなくちゃその価値はわからない。
さて面白いたくらみにまた耽ろうっと。

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2000年1月18日 (火)

読書三昧


企画書を必要に迫られて、まとめて書くってのは無節操に映画やテレビや舞台や
ライブを見たり、本を読んだり、絵を見たり、っていうぐじゃぐじゃの日々の合間
にあってはオアシスのような清新な瞬間なんだけど(嘘(^^;))、そういう時には
企画書とは直接関係ない本をやたらと読むということがなぜか起きる。
で、ここんところいろいろ読んでいる。新教養主義宣言、山形浩生の文章、ネット
以外で読むのはめずらしい。あと、宮崎哲哉氏の対談を続けて二つ読む。呉智英氏、
ちょっとつかれているのかな。それから小説を二個。目立つものでなし。
企画用に必要なもんは当然読まなくてはいけないのでインターネット関連と
映画関連と競馬関連と経済関連と国際政治関連と軍事関連を読み飛ばす。
トイレに入ると、ペーパーバックのフェルミ・ソリューションなんてのが何故か
あるので久久に拾い読む。いやな野郎だ>冒頭に出てくるフェルミ。
テレビを見るとアメリカ映画100をやっててふむふむと思いまた映画関連ゲロ
本を斜め読む。妻の寝所に渋澤龍彦「秘密結社の手帖」を見つけてつい読みふける。

本をいろいろ読んでいる暇と環境にない。部屋を片づけたいものだ。

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2000年1月15日 (土)

テレビばかり見てるようだが


またテレビの話。エディット・ピアフの「愛の讃歌」について、加藤登紀子さんが
NHKのシャンソンを歌おう、とかいう番組で話していた。
あの歌の越路吹雪さんが歌っていた歌詞が駄目なのは夙に言われていたことだが、
加藤さんが歌っている歌詞はまあいいんだけど歌が駄目だったなあ。
生徒役の金田賢一さんのほうがずーーーと良かった。

というか、ほんとうにすごいピアフのホンモノ(といってもレコードでしか
聞いたこと無かったけど)か、三輪明宏の凄い奴を聞いてしまってるからなんだ
よなあ。

しかしピアフは凄い歌、凄い歌手。
でも宇多田ヒカルも最高だよなあ。
あとは友部正人。
そんなふうに歌詞がちゃんとしてない歌は歌じゃないっす。

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2000年1月13日 (木)

永六輔氏


「二時のホント」を見ていたら永六輔さんが出ていた。
面白いなあ。
じっさい、彼のようなオッサンが常にいて、なんだかんだとウルさく言うのが
日本の都会のシステムだったのである、数百年間。テレビに出てくる何でも屋の
コメントは実際有害なばかりで恐ろしいのであるが、こういうオヤジのコメントなら
話が違う。
60年代には彼や野坂昭如氏や青島幸男氏、大橋巨泉氏、寺山修司氏、虫明亜呂夢氏
なんていう人たちがコメンテイターだった、あ、石原慎太郎氏なんかもそうだな。

誰か新しい人は居ないかな。不退転の人物は。こういう状況だから髪結いや
上祐氏などがカリスマになってしまうのだ。職人をカリスマ扱いするのは半可通の
むしろ失礼である、なんて常識はあほらしくて口にする気にもならないが。

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2000年1月11日 (火)

年度代表馬


論議が多方面であるようですが、ツキモトも自分なりに考えて居るので、数日中に
ウェブサイト上に年度代表馬のページを作ろうと思う。

それに先立って自分の偏見でいくつか挙げると
調教国・レースが行われた地域など問わない99年の年度代表馬 デイラミ
同最優秀四歳牡馬 モンジュー
日本調教馬限定の年度代表馬 エルコンドルパサー
日本ローカルで行われたレース限定の年度代表馬 スペシャルウィーク

ああ、なんかすっごいありきたりの結果になってるぞ(^^;)
ウェブサイト上ではもう少しましなことを書きますね(^^;)

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2000年1月 8日 (土)

世界観


が必要なんだ、という話になった。
インターナショナルな、あるいはグローバルな視点。
それが無さ過ぎる、要するに、哲学がない。
漫然としていてまとまりがつかない。
結局は意味が無い。
もっと世界に社会に影響を与え与えられるものを。

天下国家を論じる、という意味もある、生命論やら宗教論であったりもする。
とにかく事象を捉えてそれを提示することでよしとしてしまう風潮はいかがなものか。
そうした話がでた。

いったいどんな状況でどこでそういう話になったのか、は書けないが、
書けば驚く人もいるだろう。
時代は変わりつつある。

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2000年1月 7日 (金)

ここは


瘋癲中年日記は日々の生活の記録、こっちの日記はいろいろ意見や感想やボヤキを
書こうと思ってます。なかなかエッセイとか更新できないので、その代替物
と思ってください。ですから基本的にぼくのホームページを読んでない人や
月本裕という作家をぜんぜん知らない人には意味不明の記述ばかりになる
可能性もあります。
というわけでよろしくお願いします。

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