なるほどぼくは幸福な運命の星の下にうまれている。
世の中にはよきほどに乱離のニュース流れる。
ぼくは溶けるように難儀な幸福の中で、これ以上ないくらい
甘い柔らかい手で育てられてきた。
そして闘いとか楽しみとかを教えてくれる
年かさの人々もつねに不規則な姿形
不規則なコトバ香りであらわれてきた。
そう、なにもかもがぼやけていて、
そのわりに鮮明で、
でもことふりわけては説明できない、
足許のこととなるともう 誰もが狂人のように
根も葉もないことを声をたてて笑いながら
さんざめきあう。
それが、
今ぼくがいるところ、この世界のすべてのありよう。
面白いことが起こり、
人はくるう、くるって舞い踊る。
たとえば彼のはなしだ、ところ番地を問わずに走る、
またおなじ名を負った人々の話しだ。
ところ番地を違えて走る。
走ってすれて、行き交って、そして流れて去っていく。
かのように、ゆれるほどに、流れるからにはこの世界には、
おなじ名で夢も旋毛も夜目も根も違う人がいる、それがふつうだ。
なるほど世界はいいようにゆがんでいる。
いいようにまっすぐに、それでいて榊が
さからっている。
出会えるときもあれば、
別れるときもある、
誰も気がつかないまま、すれ違うときもある。
豊かな時間というものが世界に存在するのなら、それは、
こういう時間なのだと
ぼくは
思う。
世界は呼吸をしている 邪気と無邪気を吸って吐く。
ああ、こんな世界で
生き、学んでは、突き放される
あるいは翻弄される、
そしてまっすぐ生きていく。
それがぼくのあるべくしてある、
幸福な、夢のような、熔けるような、運命だ。
(注・意味不明な方もおいでかと思いますが、現代詩は意味不明でいいことに
なっているのだ(^^;)。
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