小泉純一郎は本当に「右翼」か?
ベルルスコーニは右翼である、そして右翼であるから問題である、と欧州の
ある種の良識は考えている。それは右翼ではない保守本流が確固として存在する
からこそ有り得る見方である。
欧州の古典的な右翼左翼保守本流もまたお笑い種の出来レースであったとしても。
日本は難しい。右翼も左翼も保守本流も、なんだかずたずたにされている。
アメリカとの関係がどうなっているか、が本当は政治的に一番重要なのに、
そこのところが必ず、なぜか、うやむやになる。
小泉純一郎は靖国公式参拝派である。改憲論者である。天皇主義者である。
だから右翼か? そこは単純にそう言い切ってもいいのだろうか?
いや、別に右翼でも左翼でもなんでもいいのだが。
小泉内閣は日本の右傾化を端的にあらわしている、
とエコノミスト誌などは書く。
だか、同時に彼らは書く。なるほど小泉はナショナリストだと自称する。
だが、どういう種類のナショナリストなのか、詳細はわからないのだ、と。
そして実にわかりやすく表現する。冷戦構造の中で日本には闇の部分があった。
今もある。保守か右翼か左翼か安保か反安保か。そこには表面的な判断では
すまないものが多すぎる。
さてぼくたちは考えなくてはならない。
小泉純一郎は単なる保守、右翼なのか。たとえばそうだとして、それと
今の日本をどうするべきか、の間にどんな関係があるのか。
闇とそれらの関係は何か。
日本はすでにして無茶苦茶である。闇と暗黒の支配する国である。
その国で右翼とは何か。左翼とは何か。
裏闇経済を視野に入れなければ語れない世界である。
そういう国での政治だ、ということを今一度肝に銘じて考えたい。
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