差別の理由
ハンセン病の裁判についての報道を見ていて思うこと。
ニュースステーションのコメンテイターの朝日新聞論説委員。
各新聞の夕刊のトンデモ報道(すでに控訴の線で確定へ、といったもの)
について客観的に語る。
アホか。お前の新聞の責任を即座に明らかにせよ。
そうでなければアンタは何者。
アンタの責任の範囲内だろう。朝日の記事はよ。
提灯記事ばかり書いていると、本当の「ニュース」に対応できない。
いよいよ日本型新聞の終焉だな。
しかしそれにしても、差別というのはこういうものか。
愚か過ぎる。しかしそれが普通だったのだ。つい最近まで。
妻が言う。何でこの人たちをこんな最近まで差別してきたの?
理由がないじゃない。
そう、差別に理由なんてない。
コリアン差別に理由があるかい?
ないんだよ。
都合はあるけどね。
都合があって、中国人を、韓国人を、イスラム教徒を、
アメリカ人を、イギリス人を、差別する。
「三国人」と、「鬼畜米英」は、同じ言葉。
病気の人を差別する、目の見えない人や口のきけない人を差別する。
見た目が変、コトバが変、理由に一見思えることが巧妙に組織されて、
都合がそれを差別に変える。
都合を考えるのは、都合で利を得る狡賢い人間たちだが、いたいけな人間たちも
その都合に簡単に踊らされる。
何で?
それは、人間という動物が、差別が大好きな下種だから。
人を差別するのは、それが楽しいから。
人間ってそういう動物だから。
自分のことを知ろう。
美しい夢のことを知ろう。そして同じくらい、
汚い欲望のことを知ろう。
人は醜い、嫌なものだ。
そこからはじめないと。
そうでないと。「正義」は人を殺す。
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