アラブとイスラエル、バチカンと正教会は諍うが
宗教なんか恐くない、と橋本治氏が言ったのはサリン事件がおきた年。
もう五年が経ちます。宗教はすでに役割を終えた古代的な知恵である、自分の頭でものを考え
られるようになった人間には宗教はいらない、少なくとも恐くない、ということ。
キリスト教的な一神教と仏教的なものの考え方の違い、など氏の「宗教なんか恐くない」
マドラ出版を読めば目から鱗が千枚落ちる。まあ一冊ちゃんと読んでいただかないとこの
目鱗感は理解してもらえないはず。そういう風にかかれている本だから。
その落ちたところから自分の頭で考えることで、いろいろなことがわかっていく。
すると自分の立っている場所の危うさとか、日本と言う国の立っている場所の危うさとかも
わかってくる。
自分でものを考えないから辛いのだ、だからすべてが澱んで動脈硬化を起こしてしまうのだ、
人とまともに話したり付き合ったりすることすら難しくなる、ひどくよどんだ空気。
そのよどんだ空気を利用して儲けよう、という類の宗教もあろう。悪徳商法もあろう。
政治もあろう。
でもそれを見分けることができる人間でありさえすれば、恐くない。
宗教が問題なのではない、のだ既に。宗教を特殊なものと見せているもののヴェールは
もはや無くなっているのだ。だけれどそれがわからない、わからなくさせているものが
あるからだ。
人権も宗教になる。会社も宗教になる。そうなると人は自分の頭でものを考えなくなる。
逆にいえばものを考えないことに慣れきっていると、宗教無しに生きていけなくなる。
そして無宗教だなんて思っている日本人が、世界で一番モノを考えずに生きている。
曖昧な神を曖昧に信仰したまま生きている。
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