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2001年7月

2001年7月31日 (火)

文化はあっという間に断絶する


教育が問題だ、とぼくだって思う。大仁田氏の教育問題が奈辺にあるか
を詳らかにはしないが、教育はずっと昔から問題だと、ぼくは思ってき
たのである。もちろんぼくごときが何か言ってもろくなことは出てこな
い。そこでまたまた山本夏彦氏をひく。

「むかし和辻哲郎が吉田茂から聞いた話だという。強く記憶していると
和辻は次のように書いていた。
 マッカーサーが吉田に問うて「自分は若年のころ日露戦争に従軍して
多くの将星を見た。彼らはそれぞれ人物に風格があったが、四十年ぶり
で日本の将軍に接して、同じ人種同じ民族だとは思えなかった。これは
一体どういうことか」。
 吉田が和辻たちの「文教審議会」の席上これを語ったのは、教育上の
由々しい問題だと思ったからだろうと和辻は察した。もっとも日露戦争
は勝ちいくさ、今回は負けいくさだから割引しなければならないと言え
ば言えるが、それにもかかわらず同じ民族とは思えないという観察は正
しいと、吉田とともに和辻は思わずにはいられなかった。前者の代表的
な将軍は東郷(平八郎)乃木(希典)、後者の代表的な将軍は東条(英機)
荒木(貞夫)たちと言っていいだろう。
 明治の将星は子供のころから中国の古典で育って、成人してから西洋
を学んだ。昭和の将軍はもう中国の古典を学んでいない。学んだとして
もそれは深く根をおろしていない」
「俗に断絶というのは戦前と戦後の間に生じたように思われているが、
私は明治にはじまって今まったく終ったところだと見ている」
「近衛文麿(明治二十四年ー昭和二十年)はしばしば羽織袴であらわれ
たが、古武士の風格なんかなかった。変装しているように見えた。私た
ちは東洋の古典を去って西洋の古典につけばいいと思って、その双方を
失ったのである。私はこれを「にせ毛唐」と呼んで、自分がその一員で
あることを残念に思っているが、芥川の誕生からでもすでに百年たって
いる」
なんか昔この同じ文章をこの日記で引用したかもしれないな(^^;)。で
も根源的なことですから何度でも。

いまの日本を作っている社会的常識のかなりの部分は1970年以降にその
もとがある。テレビで誰かが日本の伝統、みたいなことを言ったら、中
国韓国の人たちが昔からいっている、みたいなことを言ったら、その伝
統や昔の直接の根源がいつなのか、を確かめたほうがいい。

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2001年7月30日 (月)

別に古いも新しいも無い、問題は意志がどこにあるか


守旧派などというが守旧派ってもともとは革命派だったりするのが歴史の教えるところ。リフォームが合言葉の人々が
気が付くとごりごりのコンサバになっている、なんてのが実際は常識だったりもする。世界はどんな風にできて
きたのか?を時折考えて見よう。

古い、とか新しい、とかっていうのは言葉の綾で使いやすいから使うのだけれど、でもその言葉に往々にして人は縛られ
てしまう。古いは悪い、かっこ悪い、なんてね。別にどっちでもいい。その場その場で何を選ぶか、をしっかり考える
のが大事なのだ。古い新しいっていう価値観はほんとは躓きの種以外のナニモノでもない、とそんな気がぼくはずっと
している。

ということで、哭きの竜氏が2ちゃんえるのアスキー西さんの登場スレッドを種に面白いの書いてます。
7月29日(Sun) : 俺の戦うあいてはこいつらだ!
http://hpcgi1.nifty.com/BWP/diary.cgi?action=view&date=0
「新しい」「ふるい」じゃなくて、異なものを理解するために頭を使うかどうか、あるいはどう使うか、という問題とか
いろいろ考えさせられたり。
今やメジャーの2ちゃんねる、どんなものなのか歴史を知ることも面白い。

そうそう、歴史を知れば知るほど、新しいと古いってのはどうでもいいことだってわかってくるのだよねえ。

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選挙期間中もずっとなかなか面白いテーマで送信


しつづけていたのが河野太郎氏のメールマガジン。
小泉内閣メルマガのほうは行政府の出しているものだから選挙とは関係なく
出続けていたがこれは内容が相変わらずウスウス。

河野氏は相変わらずいろんなことに怒っていてなかなか面白いのだがとにかく
具体的なことを言うのがこちらとしてはありがたい。

今朝来た号では参院選と並んで日本の21世紀を占うものとしてのシンガポールとの
自由貿易協定に関しての記事。
 
実際経済エリアができたりしたときに日本人はどうふるまうのだろうか?
大東亜共栄圏という経済エリアを作るのには大失敗した戦前の日本。
欧米との経済エリアを作るのに大失敗した戦後の日本。

さてでは経済敗戦の後で孤立してまた発狂して人身御供になるのか、
コミュニケーションの連鎖の中で自らを鍛えていくのか?

そのあたりがテーマになる。面白いよ、河野氏。

ちょっとだけ1000字を超えるので、ニュース拾い読みの方にアップ。
http://sv.mcity.ne.jp/diary/3673/

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2001年7月29日 (日)

自民圧勝、でもそれは別に見飽きた光景


しかしこれが見飽きていた景色の繰り返しなのかどうか、はまだわからない。
各局、テレビ的な演出で選挙特番やっているけれど、おそらくもうすぐこういう
手法は流行らなくなるのではないか。
テレビ的な小泉氏の自己演出と、テレビとの関係。
そこから生み出されてきたもの。

さて構造とは何のどういう構造で改革とはどんな改革か。
「基本方針」にすべてがある、と小泉氏は繰り返す。
その辺、病院にいる間に少し検証してみたい。

今日は時間が無いので、ここまで。

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2001年7月28日 (土)

狐憑き日本、たぶらかされた末に捨てられる先は


日本は五十数年前負けたんだ、ということは世界中で周知の事実だ。
負けたけれど、心を入れ替え魂を売り渡したから許してやったのだ、と
自分は思っていなくても、他人は思っている。

それでどうにか許してもらって商売をしていたのだ。
独立国家としてやってきたつもりだ、でもでは独立国家とはどういうものだ?
軍隊も持たずに何が独立国家だ、という言い方はある。

そのとおりだ。だが、軍隊なんか持たせるわけにはいかなかったのだ、日本のような
危険極まりない、とされていた国に。原爆を使ってもかまわないとまで憎まれ恐れられ
ていた国に。つまりはごっこだ、彼らから見れば。

独立国家ごっこをやりながら、戦犯を合祀してもいいじゃないか、とごっこ国会が決議して、
それで国の中では納得したりしなかったりする。勝手にやってろ、と彼らは思う。

日本古来の伝統、という言葉を歴史を知らない、あるいは歴史を熟知しているからこそ
何かに阿って学を曲げる類の人物が口走る。

伝統も何も失ってしまった、でも誇りは失いたくないぼくたちはその言葉に弱い。

伝統を失わずに戦ってきた、たとえば狂言の家の人は言葉なんかに負けない。
だって彼らには肉体があり芸があり受け継がれた面があり装束があるから

だがぼくらは弱い。

小泉氏はそこのところを、一つ問い直すつもりなのだろう。
そこのところを含めて日本を独立国家と認めてくれ、と。
その上で話をしよう、ということなのだろう。
つまりは、今までの日本はまやかしの国家だったのだ、という認識を語っている
ということにもなる。

彼はそのことをも、この参院選で問うている。国がそういう風に、
今まで受けてきた国際的な「甘やかし」をも受けない、
経済的にも痛みを享受する、そのことを問うている。

それでいいのだろうか? その道を行くとはどういうことなのか、わかっているのだろうか?

合衆国は孤立の道を本気で歩んでいるように見える。
小泉氏も田中真紀子氏もそれにそれぞれの声で答えているように見える。
アメリカ中心のグローバリズムは来ない。
別の形のグローバリズムが訪れる。
それは何か?
19世紀以来日本が歩んできた二百年はまやかしの歴史だったのか?
これからの歴史が真の歴史なのか?
歴史を作り直そうとしているのは本当は誰なのだ?

明日ぼくたちが投票するのはそういう選挙だ。

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2001年7月27日 (金)

パウエルと真紀子氏、勘弁!ミスサイゴンの醜悪版


信じられないパウエルと田中外相のかくし芸。
おいおい、本音さらけ出し芸かよ(^^;)。
カウボーイとメキシコ娘という元ネタも、パウエルとアオザイを着た田中真紀子というリアルな
絵も両方ともにロコツそのもの。

ところでぼくはNHK朝の連ドラ「ちゅらさん」が大好きだったりする。
これは未来への志と夢のあるドラマなので。
あんな子はいないよ、とみんなにいわれる主人公の恵理ぃ。子どもの頃に死んだ兄との約束を
果たす為にずっと無関係に生きてきた恵理と結婚する文也。
おまえたち、結婚しろよ、といって死んでいく和也。
命が一番大事なんだよという、沖縄のおばあ。

沖縄の人間と本土の人間とが、死を媒介に幸福に共存できるのなら。そしてそのことがもたら
してくれるエネルギーや安らぎは、沖縄にも、本土にも、(そしてほかのいろいろな世界にも)
力を持つことができるのに。

そういう背骨がしっかり感じられて、そしてもちろん、面白い。

ドラマの中にはキジムナーが(演出上絵や声にして出さなくても)踊っている。

「寅さん」の世界はすでにない。「ちゅらさん」の世界だってない。
でも、それは「まだ」ないんだって、ぼくは信じたい。

ちゅらさん、美ゅらさん、と書く。

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2001年7月26日 (木)

私は日本人でありゴリラやチンパンジーであり


とっても良かったと思ってます。(・∀・)イイ!発言でしたよ>藤田田氏。
少なくともあなたが人間だと思っている種類の動物では私は無かったわけです。

レトリックという問題ではないですからねえ。

で、藤田氏は為替のグアイによっては値上げもするし今はデフレだから値下げは当然だけど
というようなことも言ってたようですね(テレビでチラッと観ただけなのでやや不鮮明は勘弁

で、国債などの問題を考えれば日本はインフレに成るしかない、きっと数年でなるであろうと
予言されたという。

猿の惑星、退院したら見に行こうっと♪

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2001年7月25日 (水)

暑すぎる毎日、さて参院選後にはどうなるか


寒すぎる決意をしなくてはならなくなるのか。

今日から入院して膝を少しいじります。
早ければ明後日くらいにはまた書き込めるかも。

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2001年7月24日 (火)

寅さんの世界自体がすでにもう存在しないけどね


今日の朝日の朝刊で、早野氏が要するに改革の痛みってどういうことなんでしょうね、と堺屋
太一に聞いたら中小企業やなんかが大変なことになって、たとえば銀行に甘い台詞で誘われて
マンションにして、一階で店を続けていたような人の財産が不良債権化していたらどんどん
処理されて、買い叩かれて追い出される。今のテナントもがらっと変わってしまう。そうこう
するうちに街の雰囲気が変わって地域コミュニティが破壊されていく、これは前にパリで起こった
ことなんですけどね、との他人事のような実にわかりやすい説明だったのだそうだ。
そして早野氏は寅さんの世界にサヨナラ、ってことで、ジェノアの反グローバリズム暴動は
そんな不安と繋がってはいないか、と結ぶ。
まあ分かりやすくはある。この新聞読んだあと花マル見てたらヨネスケが出てきて、となりの
晩御飯に突撃できる町並みとできない町並みがある、と言ったのを聞いてそうだよな、と
思った。すでに、コミュニティは崩壊しつつある。

共同体が消えてなくなっている。人は住んでいても。

戦後の約束事を守らない、世界が決めたことに異議を申し立てるとしたらそれは歴史への
冒涜である、と同紙面で韓国の鄭氏。国際秩序はA級戦犯を戦犯だとすることで成り立ってきた
それを読み替えるとはどういう心根か、というようなことを書いている。
ぼくの目からすると、国際秩序を守ることが歴史である、と言っている。
それと、民主主義とは何よりオープンシステムであらねばならず
日本は果たしてそうなのか?とも言っている。

これはグローバリストの意見である。
もちろんぼくたちは一方でそれを享受している。ある面では飲み込まれている。できる
ことなら、リージョン間は有機的に関わりあいつつ独立しあってグローブが構成されているほうがいい、
というのがぼくの考えなのだが、そうなっては「利益が出ない」連中が支配するのが、この
世の中ではある。

考えどころだ。すでにして日韓問題ではない。一対一の国と国との問題ではない。
鄭氏はそう言っている。だからワールドカップ共催についても教科書問題は影響を与えると
言っている。

考えどころである。あらゆる問題は繋がっている…

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2001年7月23日 (月)

野村萬斎さん、グローブ座公演絶賛おめでとう。


ニュース拾い読みに抄訳しといたけど、今日のフィナンシャルタイムズに絶賛記事が出てましたぜ。
英訳担当の河合祥一郎君にも、おめでとう。
http://sv.mcity.ne.jp/diary/3673/

自分の頭でモノを考えている日本人は、伝承されてきた知恵をしっかりと使って新しいことをやってる
んだよね。イチロー、新庄も素晴らしい、中田も素晴らしい、稲本や小野だって頑張るだろう。
同様に、萬斎さんや、野口健君や、アメリカ在住の某アーティスト女性や、会ったこと無いけど
新之助丈や、宇多田ヒカルやなんかも、日本人のポテンシャルを見事に示していると思うのだ。

もったいない。なぜ自らこの宝を壊すのか?
日本語文化が滅んでしまってから懐かしんでも、遅いのに…
いや、命脈をどうにか保つ形では駄目なのだ。やはり共同体として残らなければ
文化とはいえない。

加藤紘一氏の話は、ぼくにはその辺への巨大な危惧を示しているように思えた。
絶望してもやらなくてはいけない、そういう段階なのだ、という表明のように思えた。

株価は下がる。酷い時代になって、笛吹きが騒いで、みんなでどこかに向かって走り出そうというのか?

そんな簡単じゃない、そう信じたいのだが。

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2001年7月22日 (日)

自分の頭で考えられないっていうのは実は


たとえば人ごみのなかでどう動いたら人に迷惑をかけずにすむか、ということまで含まれていたりする。
大群衆の中にいると、たとえば競馬場の大観衆の中にいると、これが無秩序にむかえばどういうことに
なるのか考えると空恐ろしくなることがある。人それぞれが自分のことしか(それも実に自分の周辺
だけのことしか)考えていない、という状態は実に恐ろしいことだなと考える。

昔電波少年の企画だったかで集まった厨房たちの無秩序ぶりに番組が進行できなくなったことがあった。

下手をしたら現在、日本人は体の動かし方だってわかっていないのかもしれない。
人間は徹頭徹尾自然を失った動物だ。習わないことはできないのである。
そして習わないとできないことの中にはたとえば他人を思いやるとか、親を大事にするとか、子どもを
守る、とかいったようなことも含まれている。

一人一人は自分で動けない。考えつかない。
号令をかけると動く。
号令をかける側が頭を働かせるのがヘタで機能しない。
間違った号令にしたがって動く人と、号令を無視して、かといってよく考えもせずに自分の目の前の欲望
にしたがって動く人と、だけになる。

どこでどんなシチュエーションで事故が起きてもおかしくない。
たとえば自衛隊の中でとか、大学の中でとか、会社の中でとか。

高度成長とバブルと不況。それとこの日本人の壊れ方との間には当然深いつながりがある。

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2001年7月21日 (土)

konishikiの『君が代』に脱帽、感動した


konishikiの気持ちがどんなふうだったのかはぼくにはわからない。
でもあの『君が代』の素晴らしさはもうどう表現していいかわからない。
彼の歴史、そして日本の歴史、相撲の歴史、野球の歴史。

何かが音をたてて変わるとき、終わるとき、壊れるとき。

ああいうふうに君が代を歌っていいのだ、ということを誰も気が付かなかった。
いや、君が代だけじゃないな。
国歌というものをああいう風に楽しく歌ってしまうとは。これがたとえば合衆国のオールスターで
合衆国の国歌を歌ってきたさまざまなアーティストにも実現できなかったことだと思う。

考える人、動く人、人は何かを作り出せる。
忘れないようにしないとね。

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2001年7月20日 (金)

スポーツファンは梅田香子さんのサイト必読


アメリカに住みMLBなどの取材をしている梅田さん。
実に参考になる意見、情報、経験が書かれていて、もうこれは必読なんてものじゃなし。
http://sportswriter.jp/
日記を是非に。↑のページのリンクを押すと古い日記に飛びます。現在のは↓
http://www2.diary.ne.jp/user/94590/
今は最近のマリナーズのイチローと佐々木両選手への日本メディアの取材活動禁止と
すぐに解除の事情などについて、周辺を語っています。

スポーツ取材の仕事は競馬と野球くらいしか経験はないのですが、とっても参考になる。
こういう人の書くものを読んでいると、スポーツを観るのもが何倍も楽しくなるよ。

日記の一部を。
「メッツの広報のおかげで新庄がどれだけトクしたか、逆にイチローが今までヘイブリーの
せいで、どれだけソンしてきたか、他にもいろいろエピソードはあるのだが、それは長いから
本にでも書くことにする。」
「日本では違うかもしれないが、アメリカでは「マスコミはファンの代表」と考えられている。かつて任天堂は経営に口
をだせない議決権なしの株を購入することでマリナーズの危機を救った。つまり、それと同じことなのだろう。日本人は金だけ出
してくれればいい。われわれと同等にはなるな、と。
 イチローに対してだって同じだ。広報部長のティム・ヘイブリーには「尊敬」や「敬愛」が感じられない。オープン戦でイチローが
初ホーマーを打ったとき、イチローは日本人の記者にだけコメントして、アメリカ人記者は無視して帰ってしまったことがある。そ
れはほんのささいな誤解からくるもので、ヘイブリー部長だけがあの時点でイチローがアメリカ人記者を怒っている理由を知って
いた。ちょっと説明してあげれば解決してしまう程度のことだったのに。彼らが「イチロー!******!」と放送禁止用語で
ののしっているとき、ヘイブリーも同じような冷たい視線を去っていくイチローの後ろ姿に注いでいた。そして、その後でなんと言
ったか、それはもう書かない。
 ヘイブリーとは別な人物だが、最初イチローについた通訳はウソ情報を流すわ、イチローが話していないことも訳すわ、ひどか
った。「僕は今グレートなんてことは言いませんでした。グレートなんて訳さないでください」とイチローがおもわず口をはさんだこ
ともある。今は元オリックスの末吉さんが通訳していて、ちゃんと忠実に訳している。」

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小泉改革の正体は確かにその経済政策を見ればわかる


ファイナンシャルタイムズ、宮崎さんのサイト、といつも見てるところを見ると同じ話がされてますな(^^;)。
ファイナンシャルタイムズ、日本の不良債権は237兆円くらいだとゴールドマンザックスの調査
拙訳(7月20日)
http://sv.mcity.ne.jp/diary/3673/
元ネタ
http://news.ft.com/ft/gx.cgi/ftc?pagename=View&c=Article&cid=FT3O2J4PCPC&live=true&tagid=ZZZC19QUA0C&subheading=asia%20pacific
宮崎さんは書いている。
「ところがこれはうまくいかない。なぜか、というと日本の不良債権の一番ひどい部分というのは11や12の
大手銀行ではないのだ。地方銀行と、第二地銀なんや。第二地銀ちゅうのは、つまり田舎の銀行と信用金庫と
かやがな。この不良債権の総額はざっと210兆円ぐらいやろ、とひそかに言われているのだ。そしていくら
「対策」をやっても景気がよくならない理由はすべてここに原因がある」
http://toppa.org/2001-7/010719-1.html

ではどうしたらいいのだ?という話については、宮崎さんは徳政令、といってますね。モラトリアムですな。
未来への借金666兆円が頭の上にのしかかっていて、不良債権が237兆あって、それから捕鯨問題でも世界中から
悪者扱いされて(FTに載ってましたなあ。しかしFTを読んでて日本という国を客観的に見るとほんと鬱に
なります。そして世界からはそう見られている…)

さてサミット。どうなりますやら。

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2001年7月19日 (木)

米韓、中露、新しい枠組み、そしてODA


神浦さんのページでお勉強。
韓国の米軍規模が半分程度に削減の予定、どこをどう減らして何が増えるか。
中露の同盟は軍事的でないから脅威でないか?アメリカには脅威でなくても日本にはどうか?
アジアの新しい枠組みが着々出来上がりつつある。

中国へのODAの大幅削減、ほんとうの意味は利権としておいしくなくなったからでは?
ところで核保有国へのODAはしない、と公言すべきだ、が神浦さんの主張。
納得とともにより深い勉強しないとな、と反省。
http://www.kamiura.com/new.html

今日は時間がなくもう出かけるので帰ってきてから。
ううう連休前、夏休み前進行は辛い…

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2001年7月18日 (水)

民主党は政策まで小泉政権に丸写しで盗まれとFTも


呆れてます。
それでもきちんとしたディベートにもならず、小泉人気だけをいい募るのがマスメディア。
フィナンシャルタイムズでは皮肉たっぷりに日本の選挙についての記事がかかれている。
要約をニュース拾い読みに。ただしかなりいい加減
http://sv.mcity.ne.jp/diary/3673/
もとネタ
http://news.ft.com/ft/gx.cgi/ftc?pagename=View&c=Article&cid=FT3SYCFV9PC&live=true&tagid=ZZZC19QUA0C&subheading=asia%20pacific

小泉支援の方々はぜひ今回の候補者たちの所属派閥をじっくり見ましょう。
そして候補者たちの政策や言っていることをちゃんと読んだり聞いたりして判断しましょう。

そのための便利なサイトを勝谷氏のご友人がやっていますね。
「良識の踏絵」http://www.ryoshiki.net/index.html内の、
http://www.ryoshiki.net/sanin_jimin.html
ここで所属派閥がチェックできます。

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2001年7月17日 (火)

新しい階級社会が来るところが鈍感なる我々は


社会主義国として成功しすぎた日本国民は階級というものを貶し汚しつづけて何十年なので、そのもつ恐ろしいパワー
について鈍感になりすぎている。
いや、もちろん、それを貶してきた以上、誰もが階級の匂いには敏感で少しでも高級なもの自分よりわけもなく威張る
ものには必死の嫉妬と理不尽なまでの怒りを持って当たる、しかしとはいっても、それはただそれだけのことだ。本当
にどうしようもない階級の差というものがどんなものか、はまるでわかっていない。それを打ち倒したことはもちろん、
ぶつかったこともないからだ。結果、結局は横並び中流意識に逃げ込める、そういう思い込みがある。

もうそういう時代は終わった。私たち庶民、と政治家はまだいう、懲りずに叫ぶ、だが彼らはひどい確信犯なのだと知
らなくては。
庶民?そんなものはことのはじまりからいないのだ。

極端なことを書く。

要するに支配者と奴隷。この2つだ。庶民や中流なんて存在しない。

そんなの嫌だ、と叫ぶならそうなる流れを何も考えずに傍観していた自分に向かって叫んでいるのだと知るべきだ。

ニュースを読むべし、小泉氏の話に耳を傾けるべし、加藤氏は2ちゃんねらーと何を語り合ったか。
そしてもっと深い闇に想像力を働かせるべし、宮崎氏は何をいい何をしているか、今回の立候補の意味とは何なのか。

ぼくなどは当然だが奴隷だ。そして自分ではそうじゃないと思っているあなた、あなただって、奴隷なのだ。
そう思いながら朝日新聞を読んでいたら斉藤貴男氏が文化総合面の「eメール時評」で書いている。
「私たちは今、『赤とんぼ』の唄を楽しむのとおなじ調子で、経済を、国家を論じている。構造改革の”痛み”を
一方的に強いられ、憲法改正で戦争OKとなれば殺し殺される運命でしかない人々が、安全圏にいて利益だけを得る
人々の目線を共有している愚。想像力の決定的欠如が、そして歴史の愚を繰り返させる」

斉藤氏とぼくのものの考え方にはおそらく大きな隔たりがあるだろう。
でもここで彼の言っていることをぼくも痛く感じずにはいられない。

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2001年7月16日 (月)

アメリカのミサイル実験成功北京オリンピック決定


それはもちろん表裏のこと。
さてこの四年ほどの推移を鬱にならずに想像するのは難しいが…
京都議定書がどうなるのか、は国家百年どころか地球数億年の大計とでもいうべきものでありブッシュとウルトラキャピタリストどもの利益などと比較し様も無い大事なのである、ということはたとえば勝谷誠彦氏の如き私とは多くの点で意見を異にする作家も夙に指摘するところである。
http://www.diary.ne.jp/user/31174/
合衆国が参加するかどうかはこの議定書の目論む効果に対し大きな影響をもつことは確かだが、この議定書の批准そのものを拒む理由にはなるまい。拒むとしたら合衆国と意見を同じくするということの表明に他ならない。
って、不良債権処理について米国の専門家派遣も辞さない、って内政干渉丸出しのことをやろうっていう米政府の態度をあくまでも理解してよきアドバイスと受け取る、などと言うわが国政府である。お里はすでに知れている。
勝谷氏が今日の日記のタイトルに
「信州登場小泉の旗持ちは守旧土建屋に改革を危惧。」
と書いている。宮崎学氏は京都市役所前で応援演説に来た小泉氏に
「小泉さん、あなたは一体何をしてるんですか!橋本派の議員の応援のためにこの京都に来たということは、まさしくあなたが唱えた自民党の改革に、あなたこそが全く無縁の人間であることを物語っているにすぎません!」
と叫んでいる。
http://www.jcss.ne.jp/%7Emanabu/
小泉氏自身は改革を遂行できないとするなら自民党を破壊するのみ、と気勢を挙げているが、自民党という名前のものが破壊されたとしても、自民党的なものがなくなるわけでもあるまい。その辺は栗本先生と白川勝彦さんの著作を熟読すればわかるはずだ。
自民党的なものは合衆国の影響下で育て上げられてきた、ということも忘れてはいけない事実だ。いや、合衆国と英国の、だろうか。いやもっとインターナショナルなもの、グローバルなもの、だろうか…。

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宮崎学氏の名古屋集会で封建主義者呉氏の話を聴く


なんかそういう内容が多いが(^^;)。
名古屋に行ったら用事が長引き、東京の約束を変えていただいた(>渡部さん申し訳ない)
夕方には用事は終わったが、ちょうど宮崎さんの集会が七時からあるというので行ってきた。
呉智英さんの話が例によって面白かった。
フランス革命の大虐殺の話など、だ。スイスがどんな国か。
普通選挙がいいものだなんてどうしてわかる?
絶好調である。

さて選挙戦、果たして盛り上がってるのだろうか?
投票率はどうなるのだろう。
ぼくは不在者投票に行くことになるが(29日は手術後三日目でまだちょっと出歩きたくない日だ)
投票率はどういうことになるのだろうか。
高校のはるかかなた年長の先輩も全国区の候補者だ。現職で、橋本派である。
投票する気はないが同窓会の関係で応援する会から応援しましょうという呼びかけが届いた。
呼びかけ人の中に先日書いたアメリカ在住の女性ある種のアーティストの名前があって、困った(^^;)。
そういえばパールハーバーについてアカシックの佐々木さんがメルマガでいかにも佐々木さんらしいなあ
という意見を書いている。興味のある向きはサイトへどうぞ。
http://plaza12.mbn.or.jp/~SatoshiSasaki/index.html
昨日ホテルで読んだタイムアジア版のパールハーバーの記事要約をニュース拾い読みに載せた。
http://sv.mcity.ne.jp/diary/3673/

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2001年7月14日 (土)

青い車


なんで彼らは蒼ざめた馬を恐れるのだろう?
新しい時代なんてもう来ないのに。
なんで人は審判なんかを信じるのだろう?
何で人は列をなして待っているのだろう?

ブッシュは何を恐がっているのだろう?
日本のエスタブリッシュメントたちは何をびっくりしているのだろう?

資本主義に新しい未来や展開があるなんて、どうしてそんなことを夢見ることが
できるのだろう?

別にそんなものなくても、この世界に過不足はないではないか。
中国のどこがそんなに恐いのだろう?
韓国のどこがそんなに恐いのだろう?
日本のどこがそんなに恐いのだろう?

世界中に撒き散らしてきた自分たちの獣の意志が恐いのはわかるのだが。
原子爆弾を落としたような自分たちの行為が恐いのはわかるのだが。

どこまで彼らはやるつもりなのだろう?
いや彼ら自身がもう嫌になってるのではないか、なんて期待をもってしまう
こちらが馬鹿なのだろうか。

今の日本で稼ごうと思ったら、悪魔の手先か下回りになるしかないのだろうか?
稼ぐというコンセプトが彼らのものだ、と言ってしまえば、それまでだ。

ぼくたちには夢も希望もいらないのに。
ぼくたちには世界も未来もいらないのに。
それとは違う概念が、おお、青い空のように広がっているのに。

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2001年7月13日 (金)

芸能って本当の芸があってこそ


人気だけではそこには何も無い。
たとえばホームランを打つこと。
ボクシングのチャンピオンになること。
踊りや太鼓や謡を習い覚えること。
オリジナリティを作り出すこと。

本当の芸があってはじめて芸能者、芸能人。

しかもそこに人気の照準が合わされること。

毎日のようにテレビや舞台で生まれ死ぬ芸能人、人気者。

ぼくたちは面白がり、哀れがる。

楽しいこと。笑うこと。死ぬこと。
芸能はそこにある。
辛く汚いその世界が、だからこそ輝ける。

もちろん、芸能と芸術はイコールだ。
モノカキは末席を汚させていただいている。

精進あるのみ。

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2001年7月12日 (木)

さすがに汚い男だけのことがあるで宮崎学氏は


まあわかりやすく小泉改革の真実を説明してくれている。
でも公安調査庁に情報売り渡すようなワルやからそのつもりで裏の裏まで読み取らないとあかんで(^^;)。
http://www.zorro-me.com/2001-7/010712.htm
役にも立たない正論よりも正確な情報と分析。政治を判断するにはそれがないとどうにもならない。
でも正確な情報、というものはもともと無い、ということも肝に銘じておかないとヤバイ。
より正確な情報、というのはあってもね。だから小泉改革の真実、と書いたがこれもまた真実により近い、
という意味だ。

不良債権を処理すると不良債権がもっと増える、優良債権まで不良化する、そしていきつくところは
ハイパー・インフレの大恐慌。
より一層の量的緩和をしてもデフレの時代だ、インフレの不安なんか言うほうがおかしい、デフレスパイラル
にはまってしまうぞ、と主張する人々。量的緩和が利する相手は、アメリカだろう。あるいは国際金融資本
ってやつだ。

「円の支配者」なんかもスナオに読む本じゃないぞ。自分の頭を使って考えてご覧。いまごろ陰謀論や
トンデモ本のなかにある一寸ほどの真実(により近いもの)に気が付いて焦っているようじゃ、遅すぎるぞ。

加藤紘一氏は当然、痛みをともなう改革、がどんなことになるかはわかっているんだろう。一昨日の
トークライブのときに、一部知的貴族が日本を引っ張る形、アメリカ的なハイパーキャピタリズムの
弱肉強食の世界になるのでは、というような(こんな言葉は使ってなかったけどね)質問をした人が
いたけれど、加藤氏は役割分担で、というようなことを言っていた。そして日本の改革が成った、と思える
のは日本的なコミュニティが復活したときだ、と言った。それを聞いたとき、なんかえらいせつない気持ちに
なったもんだ。
弥勒信仰じゃないけれどより深い絶望を背負ってる人の意見のような気が実はしたのだ。痛み痛み。
だれもが傷んでいる、そして悼んでいる。

もうはじまっていることだから、ずっとずっと前からはじまっていることだから。
逃げることなんて、できないのだ。

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加藤紘一氏、2ちゃんねるコテハンデビュー(^^;)


一昨日のトークライブについてのスレッドに、コテハン(ていうか本名)で書き込みデビューされましたね。
内容についてもいろいろな方が書き込んでるので、ぜひご参照。
http://ebi.2ch.net/test/read.cgi?bbs=regulate&key=994191951
お、コテハンでの書き込みは88じゃん。カコイイ(^^;)
トークライブについてまとめたテレ朝のサイトも上のスレッドでリンクされてました。
http://www.tv-asahi.co.jp/np/update/01_today/20010710_010.html

結構、大事な一夜だったな、って今にして思ってます。

あ、それと全然関係ないけど、町山智浩氏がさるさるで日記を書き始めたのを偶然発見。
町山広美氏の兄弟で映画評論などをしている人だ。私は中傷のようなことをかかれたことがあるが(^^;)
ハワード・ザ・ダックに関する。ま、面識は無いけど、彼の書くものはわりと面白いので日記もチェック。
http://www2.diary.ne.jp/user/102261/

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2001年7月11日 (水)

神浦さんも怪訝がるブッシュの異常な「弱さ」


栗本先生、参院選について。参院選の時期における予算の戦いがどうなるか、に注目という当然のご指摘。「7月は実は普通8月末に出される予算の概算要求の最終裏交渉の時期だ」。果たして道路特定財源をどこまでぶっ飛ばせるのか?小泉改革の是非は、参院選の結果よりこっちのほうにかかっていそうだ。
http://www.homopants.com/column/index.html

神浦さんのサイトは何度もいうけど必見だなあ。
「自衛隊には覚醒剤密売組織があると疑うべし、ブッシュは何を恐れているのか?強がりは弱さの現われという光景を、たびたび見てきた」
というような内容を、読みたいでしょ?
http://www.kamiura.com/new.html

山縣さんは、こういう団体のイベントで世界一周していたのだった。
http://www.tk.xaxon.ne.jp/~aopaj/Homer.htm
なんか、記念写真いっぱい載ってて楽しそうだな。
とにかく無事で何よりでした。

おっと出かけないと。

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2001年7月10日 (火)

加藤紘一2ちゃんねるイベントに行って来た


あーそうですよ、もう単なるミーハーな私であります(^^;)。
でもまあ面白かったぞ。
2ちゃんねるも正直読んでます、一日30分はネット見てます、鈴木宗男ネタに爆笑しているという加藤氏、
ageって何、と知ってか知らずか問う加藤氏、外務官僚郵政官僚の若手が間違いなくかなり書き込んでますね、
と断言する加藤氏。ちなみに政治家がらみの噂話は3割くらいはホントかも、時にはインサイダーしか書けない
情報もちらほら、とか。
小泉内閣メルマガは面白くないからあんまりちゃんと読んでない、自分もメルマガをはじめるつもりだけど
今やると真似っこといわれるのがイヤで、などサービス満点。
また、エロサイトなどもヘンに規制しても取り締まりは無理すべて使うほう読むほうのリテラシーの成熟に
待つし2ちゃんねるを含めてそれは実現しつつあるのでは、という極めてポジティヴでフリーなインターネット観。
ご自分でおっしゃってた通りカンはいいのか。それにしてはあの加藤政局のときの鈍さは。

日本は世界史上まれに見る成功した社会主義の国で、自民党はそこに君臨する権力とカネの分配機関だった、
という話。
記者クラブはそろそろ限界、と言う話。
江戸の自由な社会に戻り昔ながらの価値観を共有したコミュニティーが完成したら自分の夢見る長いドラマが
大団円するという話。

ぼくにとっては自説とシンクロする部分がもともと多い政治家。なるほどとも思うが実行するにはどうしたら、
というビジョンが今ひとつ今日の話では見えず。
しかし加藤政局のときの認識が本当に甘かった、
との自己分析はホントにそのまんまだったとしたら信じられないアマちゃん貴族ぶり。
ちょっと驚きましたがね。政治家そこまで正直かどうかはわからないので実は裏があるのかも知れないが。

ひろゆき相変わらずいかがわしく面白い。
ま、けっこう面白いペットボトル製椅子上での二時間でした。ケツが痛い(^^;)。

教科書問題とか京都議定書問題とか聞きたいことはいっぱいあれど時間も足りず。
しかしある意味隠居という存在の大事さを実感。ま、加藤氏は隠居だなどとはまるで思っていず、総理の椅子は
当然まだまだねらっていらっしゃいましたが。

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2001年7月 9日 (月)

山縣有朋の子孫が世界一週の途中でロシアに不時着


ってのもあまりにもビビッド。
有徳さんは高校のとき、「うちの先祖はそんな悪人だったとは聞いておりません」と政経の授業中に
反論されたという方らしいです。私の高校のOBの間では有名な話なのですが都市伝説の可能性はあり。

しかしこの時代において世界一周を小型機でするしかもその最後の最後にこのタイミングで
「無事に」不時着。

今日は北海道で某セール。
やはり外交機密費などからはじまった「小泉の改革」時代の影響を色濃く落とす内容でした。
去年ほどは大金は動かず。
でも確実にかなりの大金は動く。

ダビスタの薗部氏、スペシャルウィークの牡馬とエルコンドルパサーの牡馬をそれぞれ同額程度の
値で購買。期待しちゃうなあ。

ということで今日は移動しながらの更新、内容が薄かったのは勘弁。

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2001年7月 8日 (日)

魑魅魍魎があふれ出る、いよいよ面白くなってきた


裏が表に表が裏に。
思惑が入り乱れて陰謀やホンネも入り乱れる。
ちゃんと見極めることができる力があれば?
いや、たとえば分析能力があっても情報を集められなければ話にならぬ。
情報は集まってくる位置にいても理解力や判断力に乏しければいいカモになる。

選挙は街でがなりたてている部分がいいスケープゴートで、裏で行われていることの
方がずっと重要で面白い。

某用事でぼくはいま北海道の某所にいる。
裏を探るのも表で戯れるのも、

どちらにしても地獄のような世界が覗く。
そして地獄めぐりほど面白い遊びはない。

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2001年7月 7日 (土)

日本的なものを守るということ


そりゃあ日本的なもののすべてが楽しいものばかりじゃないさ。
困ったなあと思うときもよくある。
あまりにも無意味に遠慮しすぎるんだよ、と思うこともある。
当然何もかもいい、だなんて思っちゃいないさ。
でも何もかも滅ぼしてもいいだなんてことはやっぱりない。

グローバニズムは何時の間にか体の中に入り込んで自分ではそうと気が付かないうちに自分の中の
ふるさとを消し去ってしまう。消し去ってしまっても別に大丈夫、問題ない、元気元気、とはじめ
のうちは思っているけれど実は非常に大きな痛手とからっぽのうろを心の中に作り出してしまう。

最初からふるさとなんてない子どもを産んで、そういうふうに育てていく。どこかに新しいふるさ
とを見出すけれどそれはやはりいびつなものとなってしまう。底が浅いものとなってしまう。ごく
限られたある種の人たちだけが父祖以来の伝統文化を護るチャンスに恵まれている、そうでない人
びとはいろいろな種類の美名のもとにそれを奪われる。

社会システムや資本主義というものを否定し去ることはもちろんできない。
できる限り、という範囲でしか護ることはできない。
でもやらないわけにはいかない。

イタリアから起きたスローフード運動は単に食生活でのアンチグローバリズムにはとどまらない。
逆にいうと食の均一化ファストフード化は人間の家畜化に大きな意味を持っている、日常茶飯の
ことだからといってその辺を軽軽しく考えてはいけない。
人間は食わなくては死ぬのである。
だが、食っているだけでは心は死んでしまうのだ。

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2001年7月 6日 (金)

ようやく引渡し交渉成立、国防省も折れたか?


もはや日米地位協定の問題ではない、という神浦氏の解説をお読みください。
http://www.kamiura.com/new.html
米国軍隊が特別な存在である、と主張する国防省、でももはやそんなことは言ってられないぞ、
ということで。

日本政府も本気で沖縄の人間のことを考えているというのなら、逃げ腰はやめてくれ。
パウウェルに夜中に電話した田中真紀子氏は間違ってないぞ。

神浦氏、エシュロンについても大盤振る舞いの解説を書いてくださっている。
必読!

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国は健康であるべきそして健康とはイヤなこと


教科書など須らく偏向したものである。
そうでなくては国の教育など成り立たない。
客観中立公正教科書なんてものは歴史のはじめからないし今後も無い。当たり前。

ただしいい加減そうな俺でもしょうもない裏切りなんかは嫌いねん(^^;)。

ということで教科書問題についての必読文章を引用。山本夏彦氏。
文春文庫に入っている「私の岩波物語」の105ページからここでは引用するが、他の文章でも
この話題に山本氏は触れておられる。何度も言うが橋本治と山本夏彦の文章はできる限り
全部読むべきだ。

「私はしばしば人を当人と他人に分ける。そしてこの世はその当人にみちみちたところだと
見わたす。イギリス人は自分の国の小学生に、わがイギリスが世界中に植民地を持ったのは
南アフリカでは首長に懇願されたからであり、エジプトでは王の苦しい財政を助けるためで
あり、インドではインド人の幸福を願ったためであると教えているという。
 あまりのことに中国人も日本人も笑うが、その中国人は尖閣列島から石油が出ると聞くと
すぐにこの島々は中国領だと言いだす。わが外務官僚はこのとき直ちに駁して尖閣列島は沖縄
に属し沖縄はわが国に属すと言った。日本の利益を代表する弁論である。
 ところがわが国の大新聞は中国に遠慮して、その日もあくる日も沈黙して、十何日か何十日
かたってから、ようやくわが国の領土だと社説で駁した。
 日支事変はもとより日清日露の戦役まで侵略戦争だと中国人が言うのは勝手だが、日本人が
言うのは勝手でない。それなら当人でない、他人である。当人というものは自分の利益とみれ
ば、他人の島までも自分のだといいはるものである。それが健康な個人であり国家である。故
に健康というものはイヤなものである。けれども、おお個人も法人も国家も、健康でなければ
ならないのである。
 わが国の当人ぶりは他国の当人ぶりにくらべると著しい遜色がある。自分が言いはること少
なく、他人の言いはることに迎合する国は、怪しいかな他国にあなどられる。」

それが確かにリアルなのである。確認せよ。
そして、ここから自分の頭で考え始める、のが「裏切らない」ということだ。
盲信・判断放棄こそがぼくたちの敵である。

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2001年7月 5日 (木)

アメリカの属国だということを言って回って


私たちはこれでいいんですよね。いけてますよね?
そう世界中に聴いて回ってるんだけど、世界は簡単に答えなんか教えてくれない。
それで、影でくすくす笑う。
政治ばかりじゃない。ファッションでも、思想でも。
何でもかんでも、そういうことになる。
小泉さんが一方では私はこうした文化が好き、といい、自分は変人だ、ともいい、でもアメリカに対しては本当に従順だ。従順にやっていって相手を結果的にコントロールする、高等戦術?そんなこと本当にはできやしない。
できるとしたらそれは男女の仲の場合だ。
日米はある意味男女の仲なのかも知れないが。

30歳の女性アーティストは日本人が自信が無さ過ぎるという点についても随分と悲しい気持ちになっているようだった。それは前にも書いたようにごく具体的な悲しみだ。そしてアジア同士を分断するものに対する具体的な怒りであった。

アメリカの属国であることを、対等であるかの文言によって糊塗してきたその歴史は小泉氏によっても改革されない、今のところ。
いやむしろ。

日米地位協定は日本が合衆国からしたら耐えられない野蛮国でありその警察の取り調べの酷さその他暗黒面は先刻ご承知である、というようなことを語っているのだろう、と私のようなひねくれ者はつい邪推するのである。

属国は属国らしく。決して米英同盟関係のようになんて、なれるわけがない。

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2001年7月 4日 (水)

日本の毒 滓のように溜まってしまった毒が


いろいろな駄目なシステム。
ひからびた文化。
空元気。
駄目なもの。
別に戦後に突然わいてでたわけじゃない。
豊かだったはずのものをいつのまにか蝕んでいくもの。
毒。

その毒はあまりにも魅力的で安易に手に入る。
人間は弱いから常にその心地よさに負ける。

癒し系なんて言葉に負ける。

大先輩から受けたサジェスチョン。ショウ・マスコミの世界で長く成功してきた
人だけに目は鋭く、残酷だ。

その毒はもしかしたら世界に蔓延するかもしれない。
いや、どこからかもたらされた毒であって、すでにいくつかの文化を
ぼろぼろにしてきた毒なのかもしれない。

今それが日本にもある、だけなのかもしれない。

負けないためにも。
自分の頭で考える。

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2001年7月 3日 (火)

田中康夫知事の改革と宮崎学氏の出馬理由


ある用事で都内のホテルの部屋で仕事中である。
CNNでミロシェビッチの裁判を中継している。リアルタイムで見られるというのはこれは
ありがたいね。罪状認否を今日行うか先に延ばすかを裁判長が問うているな。
次回は8月27日。罪状認否はそのときにやるみたいだな。

宮崎氏の出馬理由が突破党のサイトに出ている。
http://toppa.org/2001-7/010703-2.html

どのへんが痛みなのか、をこの文章を読んで考える。
いま本当に必要なことをしているのは田中康夫知事であり、小泉首相ではない、ということの
意味をよく考えてみてほしい。田中氏が現実にはじめていること、それはもはや理念や理想で
はなく実際に動き流れる血のほとばしりである。そのスピード、その与える影響を見れば今ま
での日本がどれだけ深刻に動脈硬化を起こしていたかをぞっとするほど思い知ることになるだ
ろう。

長野県の取材に何とか行きたいが膝の手術を控えてそうもいかぬ。ネットワーク上でさまざま
に見る。田中知事自身もSpa!誌上などで推奨していた
http://www2.diary.ne.jp/user/95992/
などを見る。

今日はある分野でアメリカで仕事をしている三十歳の女性に会った。彼女の分析は見事なもの
だった。アメリカはアジアを恐れている、分断する政策を取っているのじゃないかな。日本と
中国に仲良くなってほしくないのよ。たとえばね…彼女の話は具体的で説得力がある。現場で
得た知恵は深い。

一生懸命、仕事をしていることで(彼女はある種のアーティストであり政治などとはあまり関
係ない分野だ)そういう視点が得られる。実際の問題にぶちあたりそれと格闘し自分の頭でも
のを考えていればそうなるのだ。

長野県からはそういう人材が湧き出してくるだろう。日本にはいくらでも人材はいるのだ。

東スポで有田芳生氏が宮崎氏の出馬に期待する由のコメント。

しつこいようだが、選挙に出るということが痛みであることもあるのだ…。

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2001年7月 2日 (月)

突破者が立候補するそんなところまで日本は


追い詰められているわけである。
さて宮崎氏が公安に情報を流していた件なども政治的にまだまだいろいろと騒がれるだろうが
とりあえずそんなことで驚いていてもしょうがない。彼はアウトローを自認している。そして
政治的に成熟したアクティヴィストである。
河上イチローがオウムであり宮崎学が公安に情報を売る。世の中にはそういうこともある。
中坊公平のインチキさクリーンなファシズムの問題点を指摘しつづけるアウトローがクリーン
なわけないだろう(^^;)。
そしてそんな汚濁も含めて、三木道三じゃないけど、一生つきあわなくてはいけないのだ、
我々が人間である限り。クリーンにして正義の人たちばかりで行きましょう?正義は人を殺す
ばかりだ。
国際的な司法が確立して正義が行われた、と国連が自画自賛するミロシェビッチの裁判への流
れの嘘臭さ、気味悪さ。
東京裁判により一方的に裁かれた日本、合衆国に憲法を作っていただき国としてのキンタマを
失った我々から見ればその本質は自明はずなのに。

宮崎氏が立候補する、そんなところまで日本は追い詰められている。
このことの持つ意味とは何か?
小泉氏がアメリカで高らかに宣言した、日本は明治維新以降売り渡しつづけて来たのだ、とい
うことを。それは何か?

石原慎太郎氏の環境に関する覚醒を宣言する文章が今日の産経に載っている。
ガラパゴスに行ってはじめて気が付いたのだとすると一大事だが、その概略はいいことを言っ
ている。。
しかし再三書くが政治家が何か言い始めたときにはそのアクションがどのように振れるかを
見極めるまでは簡単に判断をしてはいけない。こいつ何が狙いなんや、とよくよく考えてみる
必要がある。この場合の石原氏はもちろん、小泉氏についても当然そうである。

すべて人間はリテラシーを問われる。それは自分の頭で考える、ということだ。考える、とい
うのは容易なことではない。苦しいし、間違えることも多々ある。でも逃げてはいけないのだ。
ぼくは宮崎氏の立候補は苦衷の選択だったと勝手に思っている。
それは痛みの表現なのだ。何がどうして痛いのか。ぼくたちは知らなくてはならない。

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2001年7月 1日 (日)

言葉を変えて言えば、アメリカが日本を革命。


米国の意見がこれからはストレートに投げ込まれることになるだろうな、と強く思われる小泉氏会見であった。
安全保障続き。
日本人は軍隊は自国を守る、と言うイメージよりは日本を苦しめる、というイメージを
持っている。そこが違う。
日本には強大な軍事力が敗戦直後から無かった時代はない。自衛隊のことではなく、
米軍のことだ。平和憲法ではなく、この軍事力が日本の平和を守ってきた。(相俟って
といったけど気持ちは違いそうだな)。この体制を守っていく。

経済的な日米摩擦について。今後担当者で協議する機関を設けよう。(つまりは経済に
ついては全般的にアメリカとの協議を経て決めていくということになるわけだな)
協力し合おう。

合衆国の政治について、ますます副島氏の本その他で勉強しなくてはいけないなあ。
勉強の為のリンク。
アメリカ政治思想につき副島氏ページ
http://soejima.to/
学問道場。田中康夫氏表現道場と似たセンス(^^;)。
アメリカ、グローバル経済につき山形浩生氏のページ。ポール・クルグマンの論文翻訳など。
http://www.post1.com/home/hiyori13/jindex.html
クルグマン教授自身のページ。
http://www.wws.princeton.edu/~pkrugman/
http://web.mit.edu/krugman/www/
白川勝彦氏
http://www.liberal-shirakawa.net/
栗本慎一郎先生
http://www.homopants.com/index.html
宮崎学氏
http://www.zorro-me.com/miyazaki/index.html
政治に関するサイトを集めた未知草というヘッドライン
http://www.colorless.org/kaede/

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アメリカがはっきりと支援した小泉改革


さてアメリカは小泉氏にこれまで中曽根氏も得たことの無いような大きなオッケーサインを
出したわけだ。小泉氏のやろうとしていることは、確かに今までなかった大きな改革であり、
強い痛みを伴う、その痛みを含めてアメリカはゴーサインを出した。
もうそうするしかない、というギリギリの線まで行って、こういうところにたどり着いた。

記者会見をNHKで見ながら書いている。
小泉氏がはしなくも黒船来航の話をしている。アメリカの外圧をうまく利用して
近代国家を作ったのだ、と説明している。アメリカの開国要求は結局正しかったのだ、と
いう説明だ。
第二次大戦についても語る。アメリカに対抗して戦争したが、負けてからアメリカの言うこと
を聞いたから、結果的にはうまく発展に結びついた。
今回のは、日本国民自身がダメだと決断した。日本国民が小泉を総理にし、改革をするための
政権を作り出した。だから外圧ではないが、そこでアメリカがアドバイスをしてくれるのなら
喜んで受け入れる、と言う。外圧とは取らない、と言う。

当然こういう総括になるだろう。よく分かった。

京都議定書問題について。
実際にこの議定書の精神を生かすにはアメリカとも協力できたほうがいい。
EUと日本だけの批准説よりはアメリカの参加を粘り強く呼びかけたい。
まだ時間がある。担当者同士で十分協議してもらって最後の最後まで協力できる道を探す。
温暖化が与える影響は実に大きいのだ。地球環境生態系人類の問題を真剣に考えよう、
最後まで協議しよう、ということになった。
なるほど。

経済について。一段の金融緩和に関しては首脳会談では言及せず。具体的な質問は無く
説明を聞き激励してくれた。

安全保障について。力技を用いる必要は無い。日米安保条約を中心にするという方針は
変わらない。日米の立場には違いがある。アメリカは自国の安全保障と同時に同盟国の
それも真剣に考えている。世界平和の維持を考えている。日本は専守防衛の国である。
武力放棄の国である。その立場をはっきり認識しながら協力していけばいい。
米軍基地は無いほうがいい。沖縄も横須賀も小泉氏自身も。でも安全保障のためには日
米協力は不可欠である。

全面的にアメリカを信頼する小泉政権。
全面的に支援するアメリカ。
国内はどう動くか。

日本は日本として生き残れるのだろうか。 この項続く。

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塩川真紀子小泉中谷慎太郎揃った役者ではじまる劇は?


昨日のNHK特番は面白かった。
竹村健一が負けないように頑張らんと、などと報道2001で言っている。
その報道2001には石原慎太郎。今日はこの後サンプロ、スクープ21と出る。
小泉氏の影武者か何かのように見える容ができている、かのようだ。
小泉氏が言わないことで石原氏がやたら言うのは中国の脅威、である。
ブッシュ氏の政府もまた、そのことについてはいろいろな形で表明する。
ミサイル防衛構想は大きな商売である、そして原発復活や京都議定書批准拒否なども
もちろん大きな商売である。石原慎太郎氏がガラパゴスへ行きエコロジーに目覚めた、
という。さてそれがどんな商売なのか。これは揶揄ではなく、商売として成立しないと
エコロジーなんて語れないのだ。文明論的な発想の転換。いいでしょう。
確かに少し引いたところから眺めるパースペクティヴで考えるべきだ。
それは地球環境の問題だけではなく、政局もまたそうだ。矮小化して考えてはいけないのだ。

大きな絵図が描かれている。そのシナリオはかなりのところまで進んできている。
塩川、柳沢、竹中、石原伸晃諸氏の役どころ。
田中、中谷両氏の役どころ。
そして石原慎太郎氏の役どころ。
すべてについて、少なくとも橋本内閣の時代からとらえなおさなくてはならない。
いや、本当は敗戦の、いや明治維新の時点からの。
そうでなくては読み切れない。

よくよく吟味しなくてはならない。
そして参院選が来る。
宮崎学氏は自由と希望から立候補するようだ。
そのことの意味も考える。
私たちの生きている世界には互いに関係ないものなんて何一つないのだ。

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