別に古いも新しいも無い、問題は意志がどこにあるか
守旧派などというが守旧派ってもともとは革命派だったりするのが歴史の教えるところ。リフォームが合言葉の人々が
気が付くとごりごりのコンサバになっている、なんてのが実際は常識だったりもする。世界はどんな風にできて
きたのか?を時折考えて見よう。
古い、とか新しい、とかっていうのは言葉の綾で使いやすいから使うのだけれど、でもその言葉に往々にして人は縛られ
てしまう。古いは悪い、かっこ悪い、なんてね。別にどっちでもいい。その場その場で何を選ぶか、をしっかり考える
のが大事なのだ。古い新しいっていう価値観はほんとは躓きの種以外のナニモノでもない、とそんな気がぼくはずっと
している。
ということで、哭きの竜氏が2ちゃんえるのアスキー西さんの登場スレッドを種に面白いの書いてます。
7月29日(Sun) : 俺の戦うあいてはこいつらだ!
http://hpcgi1.nifty.com/BWP/diary.cgi?action=view&date=0
「新しい」「ふるい」じゃなくて、異なものを理解するために頭を使うかどうか、あるいはどう使うか、という問題とか
いろいろ考えさせられたり。
今やメジャーの2ちゃんねる、どんなものなのか歴史を知ることも面白い。
そうそう、歴史を知れば知るほど、新しいと古いってのはどうでもいいことだってわかってくるのだよねえ。
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