« 塩川真紀子小泉中谷慎太郎揃った役者ではじまる劇は? | トップページ | 田中康夫知事の改革と宮崎学氏の出馬理由 »

2001年7月 2日 (月)

突破者が立候補するそんなところまで日本は


追い詰められているわけである。
さて宮崎氏が公安に情報を流していた件なども政治的にまだまだいろいろと騒がれるだろうが
とりあえずそんなことで驚いていてもしょうがない。彼はアウトローを自認している。そして
政治的に成熟したアクティヴィストである。
河上イチローがオウムであり宮崎学が公安に情報を売る。世の中にはそういうこともある。
中坊公平のインチキさクリーンなファシズムの問題点を指摘しつづけるアウトローがクリーン
なわけないだろう(^^;)。
そしてそんな汚濁も含めて、三木道三じゃないけど、一生つきあわなくてはいけないのだ、
我々が人間である限り。クリーンにして正義の人たちばかりで行きましょう?正義は人を殺す
ばかりだ。
国際的な司法が確立して正義が行われた、と国連が自画自賛するミロシェビッチの裁判への流
れの嘘臭さ、気味悪さ。
東京裁判により一方的に裁かれた日本、合衆国に憲法を作っていただき国としてのキンタマを
失った我々から見ればその本質は自明はずなのに。

宮崎氏が立候補する、そんなところまで日本は追い詰められている。
このことの持つ意味とは何か?
小泉氏がアメリカで高らかに宣言した、日本は明治維新以降売り渡しつづけて来たのだ、とい
うことを。それは何か?

石原慎太郎氏の環境に関する覚醒を宣言する文章が今日の産経に載っている。
ガラパゴスに行ってはじめて気が付いたのだとすると一大事だが、その概略はいいことを言っ
ている。。
しかし再三書くが政治家が何か言い始めたときにはそのアクションがどのように振れるかを
見極めるまでは簡単に判断をしてはいけない。こいつ何が狙いなんや、とよくよく考えてみる
必要がある。この場合の石原氏はもちろん、小泉氏についても当然そうである。

すべて人間はリテラシーを問われる。それは自分の頭で考える、ということだ。考える、とい
うのは容易なことではない。苦しいし、間違えることも多々ある。でも逃げてはいけないのだ。
ぼくは宮崎氏の立候補は苦衷の選択だったと勝手に思っている。
それは痛みの表現なのだ。何がどうして痛いのか。ぼくたちは知らなくてはならない。

|

« 塩川真紀子小泉中谷慎太郎揃った役者ではじまる劇は? | トップページ | 田中康夫知事の改革と宮崎学氏の出馬理由 »

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 突破者が立候補するそんなところまで日本は:

« 塩川真紀子小泉中谷慎太郎揃った役者ではじまる劇は? | トップページ | 田中康夫知事の改革と宮崎学氏の出馬理由 »