新しい階級社会が来るところが鈍感なる我々は
社会主義国として成功しすぎた日本国民は階級というものを貶し汚しつづけて何十年なので、そのもつ恐ろしいパワー
について鈍感になりすぎている。
いや、もちろん、それを貶してきた以上、誰もが階級の匂いには敏感で少しでも高級なもの自分よりわけもなく威張る
ものには必死の嫉妬と理不尽なまでの怒りを持って当たる、しかしとはいっても、それはただそれだけのことだ。本当
にどうしようもない階級の差というものがどんなものか、はまるでわかっていない。それを打ち倒したことはもちろん、
ぶつかったこともないからだ。結果、結局は横並び中流意識に逃げ込める、そういう思い込みがある。
もうそういう時代は終わった。私たち庶民、と政治家はまだいう、懲りずに叫ぶ、だが彼らはひどい確信犯なのだと知
らなくては。
庶民?そんなものはことのはじまりからいないのだ。
極端なことを書く。
要するに支配者と奴隷。この2つだ。庶民や中流なんて存在しない。
そんなの嫌だ、と叫ぶならそうなる流れを何も考えずに傍観していた自分に向かって叫んでいるのだと知るべきだ。
ニュースを読むべし、小泉氏の話に耳を傾けるべし、加藤氏は2ちゃんねらーと何を語り合ったか。
そしてもっと深い闇に想像力を働かせるべし、宮崎氏は何をいい何をしているか、今回の立候補の意味とは何なのか。
ぼくなどは当然だが奴隷だ。そして自分ではそうじゃないと思っているあなた、あなただって、奴隷なのだ。
そう思いながら朝日新聞を読んでいたら斉藤貴男氏が文化総合面の「eメール時評」で書いている。
「私たちは今、『赤とんぼ』の唄を楽しむのとおなじ調子で、経済を、国家を論じている。構造改革の”痛み”を
一方的に強いられ、憲法改正で戦争OKとなれば殺し殺される運命でしかない人々が、安全圏にいて利益だけを得る
人々の目線を共有している愚。想像力の決定的欠如が、そして歴史の愚を繰り返させる」
斉藤氏とぼくのものの考え方にはおそらく大きな隔たりがあるだろう。
でもここで彼の言っていることをぼくも痛く感じずにはいられない。
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