寅さんの世界自体がすでにもう存在しないけどね
今日の朝日の朝刊で、早野氏が要するに改革の痛みってどういうことなんでしょうね、と堺屋
太一に聞いたら中小企業やなんかが大変なことになって、たとえば銀行に甘い台詞で誘われて
マンションにして、一階で店を続けていたような人の財産が不良債権化していたらどんどん
処理されて、買い叩かれて追い出される。今のテナントもがらっと変わってしまう。そうこう
するうちに街の雰囲気が変わって地域コミュニティが破壊されていく、これは前にパリで起こった
ことなんですけどね、との他人事のような実にわかりやすい説明だったのだそうだ。
そして早野氏は寅さんの世界にサヨナラ、ってことで、ジェノアの反グローバリズム暴動は
そんな不安と繋がってはいないか、と結ぶ。
まあ分かりやすくはある。この新聞読んだあと花マル見てたらヨネスケが出てきて、となりの
晩御飯に突撃できる町並みとできない町並みがある、と言ったのを聞いてそうだよな、と
思った。すでに、コミュニティは崩壊しつつある。
共同体が消えてなくなっている。人は住んでいても。
戦後の約束事を守らない、世界が決めたことに異議を申し立てるとしたらそれは歴史への
冒涜である、と同紙面で韓国の鄭氏。国際秩序はA級戦犯を戦犯だとすることで成り立ってきた
それを読み替えるとはどういう心根か、というようなことを書いている。
ぼくの目からすると、国際秩序を守ることが歴史である、と言っている。
それと、民主主義とは何よりオープンシステムであらねばならず
日本は果たしてそうなのか?とも言っている。
これはグローバリストの意見である。
もちろんぼくたちは一方でそれを享受している。ある面では飲み込まれている。できる
ことなら、リージョン間は有機的に関わりあいつつ独立しあってグローブが構成されているほうがいい、
というのがぼくの考えなのだが、そうなっては「利益が出ない」連中が支配するのが、この
世の中ではある。
考えどころだ。すでにして日韓問題ではない。一対一の国と国との問題ではない。
鄭氏はそう言っている。だからワールドカップ共催についても教科書問題は影響を与えると
言っている。
考えどころである。あらゆる問題は繋がっている…
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