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2001年7月28日 (土)

狐憑き日本、たぶらかされた末に捨てられる先は


日本は五十数年前負けたんだ、ということは世界中で周知の事実だ。
負けたけれど、心を入れ替え魂を売り渡したから許してやったのだ、と
自分は思っていなくても、他人は思っている。

それでどうにか許してもらって商売をしていたのだ。
独立国家としてやってきたつもりだ、でもでは独立国家とはどういうものだ?
軍隊も持たずに何が独立国家だ、という言い方はある。

そのとおりだ。だが、軍隊なんか持たせるわけにはいかなかったのだ、日本のような
危険極まりない、とされていた国に。原爆を使ってもかまわないとまで憎まれ恐れられ
ていた国に。つまりはごっこだ、彼らから見れば。

独立国家ごっこをやりながら、戦犯を合祀してもいいじゃないか、とごっこ国会が決議して、
それで国の中では納得したりしなかったりする。勝手にやってろ、と彼らは思う。

日本古来の伝統、という言葉を歴史を知らない、あるいは歴史を熟知しているからこそ
何かに阿って学を曲げる類の人物が口走る。

伝統も何も失ってしまった、でも誇りは失いたくないぼくたちはその言葉に弱い。

伝統を失わずに戦ってきた、たとえば狂言の家の人は言葉なんかに負けない。
だって彼らには肉体があり芸があり受け継がれた面があり装束があるから

だがぼくらは弱い。

小泉氏はそこのところを、一つ問い直すつもりなのだろう。
そこのところを含めて日本を独立国家と認めてくれ、と。
その上で話をしよう、ということなのだろう。
つまりは、今までの日本はまやかしの国家だったのだ、という認識を語っている
ということにもなる。

彼はそのことをも、この参院選で問うている。国がそういう風に、
今まで受けてきた国際的な「甘やかし」をも受けない、
経済的にも痛みを享受する、そのことを問うている。

それでいいのだろうか? その道を行くとはどういうことなのか、わかっているのだろうか?

合衆国は孤立の道を本気で歩んでいるように見える。
小泉氏も田中真紀子氏もそれにそれぞれの声で答えているように見える。
アメリカ中心のグローバリズムは来ない。
別の形のグローバリズムが訪れる。
それは何か?
19世紀以来日本が歩んできた二百年はまやかしの歴史だったのか?
これからの歴史が真の歴史なのか?
歴史を作り直そうとしているのは本当は誰なのだ?

明日ぼくたちが投票するのはそういう選挙だ。

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