日本にも大人が居た時代
があったことを思い出した。
香港に住む富柏村氏
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と昨日食事、実はお会いするのは二度目ながら
いろいろ話をメールなどで伺い日記を読ませていただいていると
とてもそんな短時日の知り合いとは思えない数々の符号を見る人間関係。
勝手ながら友人とよばせていただく、その友人の大叔父上の話を伺う。
早起きして酒を飲みにこやかに教科書問題を語る、いわく韓国の人にも日本史の教科書を
作らせて両方の教科書を見せて判断させればいい、と。
それは一つの大人の考え方である。健康なリベラリズム。
健康なリベラリストは朝酒をあおり、自分の責任でものを言うのだ。
親孝行をし倫理を守りつつ国の行く先をうれうるのだ。
幸徳秋水は母の死期をはやめたおのれが親不孝がすでに万死に値する、と嗚咽した。
簡単に泣くのはよくない。とくに人前で泣くのは。
大人は酒を飲んで呵呵大笑するものだ。泣くときはよほどの時に泣くのだ。
よほどの時がどんな時なのか、大人がいないからわからなくなってしまっているのだ。
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