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2001年8月 1日 (水)

かたはらに秋草の花語るらくほろびしものは


なつかしきかな 牧水

昨日の続きである。山本氏の引用をまだ続ける。昨日今日の引用は文春
文庫「愚図の大いそがし」に入っているコラムからである。
「いきも婀娜も伝法も「着物」と共にある。男は大正十二年の震災以来
着物を着なくなった。女は昭和二十年の戦災以来着なくなった。着物が
なければいきも婀娜もなくなる。
 衣裳は百年や二百年で身につくものではない。男の洋服姿なんて見ら
れたものではない。皆が皆着ているからやむなく着ているだけで、あん
なものにいきも伊達もありはしない。女にもない。あると思うのは色情
をもって見るからで、試みに冷たい目でながめてみよ。
 ついでながら戦後女は針と糸を持たなくなった。料理をつくらなくなっ
た。衣裳はブティックで、惣菜はパックで買ってくるものになった。
 昭和二十六年幸田露伴の娘文(四七)は、子細あって柳橋の芸者屋に
女中奉公した。文は少女のときから薪割、洗濯、裁縫、料理を露伴に手
をとって教えられ、きたえにきたえられている。数え十六のときから家
事いっさいをまかせられている。本式に家事のできる女の最後の一人で
ある」
「鴎外の長女茉莉はうって変わって甘やかされて育って、女ひと通りの
ことはいっさいできない。ただ天賦の才があって料理だけは上手である。
茉莉は七つの帯解の祝に鴎外が選んでくれた縮緬の元禄袖の肌ざわりを
おぼえている。それは湯上りの肌につめたく、重く、全身をしっとりと
包むように感じられた」
「大正デモクラシーは大は儒教から小は口上、挨拶まで亡ぼした。俗に
断絶というがそれは明治にはじまって、いま完了したところである。私
たちの父祖は東洋の古典を捨てて西洋の古典を得ればいいと勘ちがいし
て、その両方を失ったのである」
「魯迅は「にせ毛唐」といったが、日本の男は全員にせ毛唐になったの
である。これまで女はからくも日本の女だったが、教育が普及すると共
に男と同様にせ毛唐になった。西洋人は仲間だと思っていないのに、自
分は仲間だと思って永遠にあなどられるようになったのである」

 靖国を考えるなら、日本の歴史を考えるなら、このことを抜きにはで
きないはずなのだ。日本は戦争に負けた、いやその前に開国以来のい
きさつは。日本人は自らいったい、何を捨ててきたのか?そして今、何
を新たに捨てて、何になりすますつもりなのだろうか?

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