滅びるとき、失われるとき、そしてそれは必然
何かの結果として当たり前のこととして、絶望的な局面を迎える。
それは深刻な事態を招来するが、論理的に当然なので仕方がない。
ただ、精神の方は論理では片付かないから、ときには狂気にまでいたる。
クライシスは物理的な傷までを我々にもたらす。
次にくるのが、徹底的な破壊、残虐の明るさでないことを祈りたい、のだが。
祈る神などもういない。
だから強くなって、ものを考えつづけるしかない。
ネヴァダちゃん
「今後、日本は、失業者が街にあふて、社会があれ、凶悪犯罪が、激増してくると思います。
そして、人の心も廃れてきます。
私は、日本の将来は、無いとみています。」
http://www.collectors-japan.com/nevada/index.html
勝谷くん
「民営化よりもどこかの国に丸投げして行政やってもらったらどうかね。」
http://www.diary.ne.jp/user/31174/
終わりについてにレッスン
哭きの竜さん
「会談に同席した削除屋氏によると、「「ひろゆきの趣味」の時代は、今晩を持って終了です」とのこと。30日の夜に「管理人の趣味の時
代」が終焉する。2ちゃんねるは終わらない。新しい2ちゃんねるが生まれるという。
それが、何を意味するのか?
それが人々に真の幸福をもたらすのか?
それとも…」
http://homepage1.nifty.com/BWP/nonframe/store_t/2ch/2ch-02.htm
碇シンジくん、日本少年、14歳。戦争に負けたときから、精神はずっと、ずっと14歳のまま。
そして滅びる、肉体はもう老年に達していて。
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