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2001年11月 5日 (月)

明日はある


ぼくの祖父は盲目の鍼灸師で、母の家は大黒柱である彼の猛烈な稼ぎによってなりたっていた。ぼくが生れたころうちの一家は祖父の家に居候していた。というか、祖父の子供たち7人のうち3人が家族を作り祖父の家の一部をそれぞれ改造して住んでいた。のこりの4人のうち3人はまだ学生でやはり同じ屋根の下に住んでいた。大家族というやつだ。だから、ぼくにとっては、生れたときから、盲目の人は最も身近な人の一人だった。そして彼は余人にかえがたい素晴らしい能力を持ち、ただ目は見えない。それだけのことだった。見えない不自由は周囲の人間がサポートしていたし、祖父は祖父の人生をぼくなんかよりもはるかにエネルギッシュに、目一杯、生きていた。ぼくは祖父と話すのが大好きで、その独特の人生哲学や、健康に対する考え方や、厳しさや優しさに触れるのがとても楽しかった。見えない祖父の部屋はいつも薄暗く、多くの患者さんがやってくる待合室は決して明るい雰囲気ではなかったけれど、それはそういうものだ、というふうにぼくは感じていた。いずれにしろぼくの父母と叔父伯母は医師で、その家は鍼灸師と小児科医と外科医と内科医と精神科医が揃ったちょっとした病院だった。病院には病者が集まり、苦しみを訴え、治ることもあれば、治らずにしまうこともある。そしてときに死者となる。
今日、聾者のある方に打ち合わせでお会いした。手話通訳の方を通じてしか話ができないこちらの不勉強が申し訳なかったが、通訳の方も素晴らしく面白い人で、二人の関係そのものが見ていて嬉しくなるものだった。手話で話す方の表情は豊かで実に魅力的で、いつまでも見ていたいと感じさせてくれるものだった。ハンデは様々な形である。それは大きさの違いだけで誰にでもある。人は辛いところで生きている。生きることは絶望だ、という箴言は正しいのかもしれない。ただあらかじめ絶望などとしていられない、とにっこりと笑う人がぼくは好きだ。僕自身はだらしなくすぐに泣き絶望しあきらめるダメな人間だ。きっとだからこそ、そういう人たちの話す姿にふるえてしまうのだろうぞっとしてしまうのだろう。明日はある、それに向かって行こうよ、一緒に、と綾戸智絵さんは言った。そうだ、明日はある。
http://member.nifty.ne.jp/kobushi-pro/oshidari-akiko.html
http://mbs.co.jp/jyonetsu/2001/0603.html

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