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2002年2月16日 (土)

日本はもうおしまいらしい。


シンガポールまで戻ってきて、いろいろと雑誌を読む時間ができた。
タイムは「Japan's SOB story」ニューズウィークは「made in China」ビジネスウィークは「China's Power shift」エコノミストは「the Sadness of Japan」というカバーストーリー。
日本にもう明るい未来はない、そこにあるのは、むなしいだけの暗黒のトンネル。

日本はもうおしまいらしい。そう誰もが言っている。言っていないのは日本人だけだ。ぼくはどう思うかといえば、やっぱりおしまいなんだろうなと思う。ことここに至っては。

だがケニアでぼくは、日本がもうおしまいだとしても、それが何だろうか、と思っていた。
マサイにはマサイの言葉と生活が残っている。おそらくは恐ろしく変貌してしまっているのだろうが、まだまだマサイのモラン(戦士)はマサイのモランだ。

日本のいまの政府などとうの昔に終わっている。
満点の星の下で、江戸末以来の歴史についてある人と語り合った。
日本の経済がおしまいだとしても、それは属国日本の経済がおしまいだということだ。

ぼくたちの新しい日本は、これから作っていくのだ。
そこに明るい未来があろうがなかろうが、それは日本人の問題である。
キリスト教徒や資本主義者に何か言われる筋合いのものではない。
そう思った。

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