そして思うのは、合衆国ももう終わりということ。
もちろんケニアも国家であっていろいろなことにかかわっている。
ODAもケニアは大舞台である。何度日本大使館の某さんをご存知ですか?彼はいい人で、みたいな話を聞いたりした。日本人からもケニア人からも聞いた。
だがケニアという国家は(アフリカの中ではかなりまともな構造をもっているにしても)かなりルーズな構成で、その意味では外務省が機能不全だとか真紀子前外相がどうの、というレベルは超えている。いろいろとうまくいっていない。ある種族の長老もいまのケニアは国ではないと嘆息する。
それがいいこと、とはいわない。それはそれとして、去年の大統領選からこっち、テロを許したこと、エンロンの問題などがブレイクしたアメリカ合衆国という国はいったいどうなのだろう。
日本が終わりだという。でも日本という文化はまだかろうじてある。そこを行き残させる、というテーマがあってぼくにとり大きな主題となるだろう。
では、アメリカ合衆国というお笑い国家が終わったとき、アメリカ文化というものは生き残るのだろうか?
言葉は英語である。
ヨーロッパと世界中のいろいろなものを混ぜ合わせたテーマパーク文化はアメリカ合衆国でこそ生まれたものではあるが、アメリカ合衆国でだけ生き残っていく固有の文化か、といえばそうではない。
アメリカが滅びるとはどういことだろう。
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