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2002年2月27日 (水)

グランド・ゼロ


ニューヨークにはあまり縁がなくて今まで5回くらいそれもそれぞれ極めて短期間しか来たことがない。今回も二泊という駆け足だ。
ただ、WTCを含めた最近のマンハッタン摩天楼の風景は写真や映画などでおなじみだったので、それがない、という姿には昨年十月にちょっと寄ったときにもちょっとした衝撃は受けたように思う。

昨日はグラウンド・ゼロのヴューポイントに行ってきた。もうひところ伝えられた大行列ではなくなり、6ブロック先にある場所で整理券さえ手に入れればそれほど並ばずにその板で作った場所に入れる。ただし3分間だった。妙に正確に3分だった。

それからブルックリン橋をわたってマンハッタン島を見る観光名所に行った。
WTCがない摩天楼、雲と太陽と鳥たち、時々去来する飛行機やヘリコプター。

ぼくは東京生まれで、都会でしか生きられない軟弱な人間だ。東京が大好きだが東京は次第に壊れつつある。それでも好きだが。縁がなかったとはいえニューヨークは楽しい街だと思う。大好きといえるほどは知らない。ナイロビはこの間はじめて行って、一人歩きもしていないのでよくわからない。

ただパリもロンドンも、シンガポールもソウルも、都会というのはそれだけで壊れているのかもしれないとも思う。いや人の共同体というのは多かれ少なかれ狂気を孕んだものだと思う。だから面白く、危険で、やりきれなく、戦いに満ち溢れ、ときに慈愛にも溢れ返るのだろうと思う。

WTCの事件はあらゆるミッションのある種の結末だ、と言ったらキリスト教世界は激怒するだろう。
でもぼくにはそうとしか思えない。

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