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2002年2月 7日 (木)

ナイロビの一夜


おおよそ滅びようとしている日本の国について、とおおよそ袋小路に入っている人間という動物について、そしてやはりおおよそ滅びようとしている合衆国というシステム、ゾンビのように生き返ろうとしている1900年前後の世界の体制について、ナイロビのホテルのバーで話をする。
ニューヨークやら東京やらパリやらなんやらからきた人々が勝手なことをしゃべる。象や鯨や類人猿のこともしゃべる。植物の研究にきている若い日本人のうわさなどする。

およそ滅びようとしているものが何で、いま生き生きと伸びようとしているものが何なのか。おぼろげにわかったようなつもりになりながら大声でいろいろと話す。

あくまでもジェントルなケニア人のウェイターが困ったような顔で数杯目のワインを持ってくる。

時間は普通に動いている。
いろいろと話しても、飲みすぎても、私の頭は決して溢れないし、曇ってもこない。世界はこれからどうなるのだろう。
いずれにしても、私たちはそれに立ち会っている。

立ち会えること自体はとても幸福なことだと、わたしは思っている。

滅びるものたちは滅びるがいい。わたしも滅びるかもしれない。それは仕方ない。
問題は次の生だ。生きることだ。どうやって生きるか、だ。

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