お姫様と私、リアルとファンタジー
飛行機のなかで、日本ではプリティ・プリンセスとかいうタイトルで公開されてる映画をやってたのでなんとなく見た。ご落胤の話である。15歳のサンフランシスコの女の子が実は欧州某国の女王の孫。現代のファンタジー、御伽噺、いやいや、ひとつのリアルかもしれない。
なんて思っちゃうのもオランダの皇太子の結婚式と像が被るからか。
権力というのは金とセックスなわけで、つまりそれは閨閥なわけで。
亡国の危機に瀕しているアルゼンチンと、皇太子妃の一族との関係を考えてみよう。なぜアルゼンチンの富豪の娘はNYCで金融関係の仕事をし、その後オランダの皇太子と結婚するのか?それはファンタジーでもなんでもない、現実のことである。いやいや、この言い方はおそらく間違いだ。ファンタジーとはそうしたものだ。ハリー・ポッターも指輪物語も、どろどろの人間社会の現実を伝えている。ブッシュの演説など、できることなら子供だましの夢物語の悪魔の親玉の台詞として笑い飛ばしてしまいたいのだが、実は悪魔の親玉というのがリアルなのだ。そしてやつらは自分よりはるかに劣った彼らにとって邪悪な敵をみなごろしすることを躊躇しない。日本でベトナムでイラクでユーゴスラヴィアでアフガニスタンでやったように、再度イラクでイランで北朝鮮でそしてまた日本でやることも、時と場合によっては躊躇しないだろう。
ナイロビにいる。アフリカの人はフリーメーソンを悪魔信仰だと恐れるという話を聞く。それを無知と笑えばすんでしまうリアルとは、違うリアルがここにはある。
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