野中鈴木辻元加藤は呪文、本質を忘れないこと
新聞紙上などにこれらの名があらわれたらなるほどこれは何かの結界とでも思い
眉に唾をつけることを忘れぬように。
新聞雑誌はその呪文が何を表しているか、を書くのならいいがそれ以外は有害と知るべし。いや彼ら知っててやっている。
問題は同時に進行している格付けその他日本が世界から買い叩かれている現状。
もしかしたら、それはそれとして日本という国を今内外から形作ろう様変えようというなにがしかの動きがあるのかもしれない。
我々自身がこれは変化のときだと思ってそれなりに考え動いている影で、またまた勝手にある種の人々が蠢いているのかもしれない。
政治はなにがしか人々の動きを反映はしていると思う。今回血祭りに上げられている政治家諸君はテレビだのパフォーマンスだのとはあまり関係なく確かに彼等によって代表されるある種の集団がいる、オーソドックスな政治家たちである。
意味はある。だがそれだけで限られた新聞の紙面を、ニュースの時間帯を占領してはならない。あるいはその事件と銀行格付けと円価株価の関係を必ず説かなくてはならない。
呪文がおそるべき効果を上げるのは人間の社会どこでも同じで仕方がない。
そういえば小室直樹氏の「日本人のためのイスラム原論」は必読である。
「苦悩するイスラム、傲慢たる欧米。この両者が理解しあえるのは、はたして、いつの日ぞ。」
で結ばれるこの書には数え切れないヒントが隠されている。
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