ものを考えるのと理屈を捏ねくるのとは
まるで違うこと。「近代」とかいった言葉を使うのは往々にして理屈を捏ねくる場合。ものを考えるときにはもっと別の言葉を使う。
ゆっくり、とか、気を長く、とか、長いスパンで、とか、より深く、とか掘り下げて、とか。
それは近代的とか前近代とかその超克とかいった言葉は、ほとんどの場合、詐欺やペテンや誤魔化しのための言葉。
詐欺やペテンはその中ではかなり高級。ほとんどが単なる誤魔化し。
生な現実の前で出てくる言葉がなにか。
腑抜ける前に口からあふれ出てくる言葉は決して耳に心地よくもなければ、格好よくもない。
ただ、そこにはリアルなものがごつごつと存在している。
ごつごつとした岩を足の裏に感じながら歩くこと。そのためには考えなくてはならない。舗装された道をマニュアルとおりに歩くのと比べてみる。
| 固定リンク
この記事へのコメントは終了しました。
コメント