大事なことを隠す作用があることも忘れてはいけない
小泉首相が突然の靖国参拝。
このタイミングにはさまざまな意味があるのだろう。
さて例大祭などにふつうに参拝するのは過去ふつうのことだった、中曽根以前に戻っただけだ、という意見にはほとんど意味が無い。経った時間は戻ってこない。
靖国問題などをいま論じている場合ではない、ということが実はある。実はあるが、この問題は出れば論じないわけにはいかぬ。国家の根本にかかわることを含んでいるからである。
国家の根本。それは日本が前大戦で完敗し、全アジアでのあらゆる活動に敗北という結末を迎えたということ、そしてアメリカに占領されたというところにある。
つまりそれどころじゃないときにこの問題をわざわざ持ち出してくるには意味があるのだろう。
何かがはじまったのだ、という意思表示でもあるだろう。
こういうときこそ、数歩引いたところから眺め回して見るべきだ。首相を称揚するにせよ非難するにせよそれからである。
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