« フーリガン対策よりも日常の問題で | トップページ | 河野太郎氏、生体肝移植ドナー体験記 »

2002年5月 3日 (金)

ニューヨーク2002の五月はじめ


連休中、成田はそれほど混んでいなかった。ただしニューヨーク便は一杯。
携帯電話を日本から借りていくのが常なのだが、これも発注が遅れてキャンセル待ち、結局借りられず。

日本人、旅行しているねえ。

コリアタウンのレストランで食事。韓国の人たちで混んでていい感じ。料理も美味しかった。世界中どこでもそうだが、寿司や刺身といったものもコリアンレストランにはあったりすることが多い。コリアン、ジャパニーズレストラン。そのことをぶつぶつ言う日本人。いいじゃないか別に。というかそういうものじゃないか。そういうものとして、歴史は過ぎているじゃないか。

四月には33℃とか言うこともあったというNYC、異常気象に人は弄ばれている。今日は15度くらいだ。妙な天候にホテルも暖房冷房をどうするかが悩みの種だろう。寒いので小さなヒーターを入れてもらった。電熱ヒーター。火事が怖いな。

テレビではどこだかの空港でセキュリティがどうしたこうした、ビン・ラディンがどうのこうの。そして聖職者のセクハラの話、殺人事件の裁判について、ヤンキースとマリナーズの試合の中継はホテルに入っているケーブルのスタンダードセットでは見られないみたいだ。

|

« フーリガン対策よりも日常の問題で | トップページ | 河野太郎氏、生体肝移植ドナー体験記 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/24781/8311834

この記事へのトラックバック一覧です: ニューヨーク2002の五月はじめ:

« フーリガン対策よりも日常の問題で | トップページ | 河野太郎氏、生体肝移植ドナー体験記 »