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2002年5月16日 (木)

日本という名前


日本が何をどう主張しようとも、あまりにも多くの舞台で日本という名は地に落ちてしまった。
だから、ことがたとえば鯨の問題になったとして、日本の発する声が理解されることがますます難しくなってしまった。
経済的にはアメリカの意向で多少は上向くことがあるかもしれない。でも変わってしまった産業構造が、その富の分配をまた残酷なものにしてしまうだろう。
別に他人にどう見られようとかまわない、と言う国ならまあいいかもしれない。日本は世界でも有数の人からどう見られているのかが気になってしょうがない人々の国だ。
そのことがますます日本の立場を悪くしてしまっているというのに。

戦争に負けるというのはこういうことだから、戦争はできるだけ避けるのが賢者の道なのだ。明治維新はわれわれを地獄への道へと結果的に追い込んだ。その原因はなんだろう。
じっくりと歴史を見てみなければならない。

島田雅彦さんの「フランシスコ・X」はその意味で注目される作品だ。
日本という名前を、よく考えてみたい。ちゃんと考えてみることが日本がこれからどうなっていくか、ということに繋がっていくのだ。

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