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2002年5月 8日 (水)

北朝鮮中国日本


という国名が並ぶ事件が起きる。それもどえらくセンシティヴなものが。このタイミングで。そして背後(べつに隠れた背後ではない、目に見える背後)には、北朝鮮での人権侵害問題を考える外国人(北朝鮮以外の国の人々から成る、という意味だ)組織(複数である
がいる。
こういうのを政治的な事件という。政治的な事件であるからには政治的な利害などが必ずある。いたいけな少女の表情にも政治的な意味が出来てしまう。好むと好まざるとにかかわらず。人間に限らぬ、社会を営む動物は政治から逃げられない。

それにしても今回の事件はロコツな気がする。ロコツすぎるところに謎があるようにも思う。日本政府は単に腰抜けだとか機能不全だということではもはや無いと思う。破壊され尽くしている。
いや、破壊工作のために利用されている。いやいや政府自体が破壊工作を行う機関なんじゃないかとすら思う。

センティメンタルになってはいけない。これは政治という奴だ。人権なんぞ世界中で侵害されている。問題は重要なのは人権でも人の命でもない、と考えている人々の存在だ。彼らの意図する所とは何か、だ。そんな畜生どもとは付き合いたくも無いが、
現実はそんな畜生が動かしている。落ち着くこと。落ち着いてリアルに考えること。自分とつながりのある世界がいったいどういうふうに形作られているのかを冷静に判断すること。

北朝鮮と日本は決して別世界ではない。中国と日本も。領事館の内と外には決して越えられない壁が確かにある。しかしながらそれはまた同じ地続きの同じ哲学が貫かれた世界でもある。

忘れないように。世界は繋がっている。

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