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2002年6月22日 (土)

芸人の凄さを鴈治郎に見る。


今日見てきた歌舞伎座の「弁慶上使」。鴈治郎のおわさに感服。
この話しは弁慶が生涯一度だけ契った女、おわさが、偶然頼朝の使いでやってきた弁慶と出会うものなのだが、若い頃のあやまちで、お互いに顔も名前も知らないのでそれまで会う事がなかった。おわさはそのときにできた娘しのぶを育てあげた。しのぶは義経の妻卿の君のめのとである侍従太郎の家で働いている。そして彼女と卿の君は瓜二つ。平家の出身という事で頼朝は卿の君の首を取って来いと弁慶に命じ、主義経のためにそれができない侍従太郎はしのぶを身代わりにすることと決めるのだが、おわさは一度も会っていない父親に会うまでは、と抵抗する。しのぶは身代わりになってもいいと言う。すると襖の向こう側から弁慶がしのぶを一刺し。おわさが、一度のあやまちのときに引き破った片袖をいまだに身につけていると聞いて、自分の娘と気がついたのだ。というようなもので、このあと弁慶は一生一度の大泣きをする。このおわさが、まさに若い頃のあやまちの思い出を胸に、苦労して育てた娘を奪われ、そして会いたくてしょうがなかった人に会い、という実にもう大変なことに見舞われるわけだが、なんというか人間という動物のかわいさ悲しさいやらしさ助平さを、中年をすぎた女性の生理的な部分までもを表現する形で演じられる。吉右衛門ともども、素晴らしかった。こういう表現を男性の老人がやりきれるところが、芸人の凄さである。若い芸妓との噂があったが、遊んでなくては役者なんかできるわけないのだ。役者はろくでなしであるかもしぬ。だがそうじゃないと人間はわからないし、演じられないのである。逆にいえば芸も無いのに遊んでばかりいる芸能人は、芸人とは言わないのである。こういう人の奥様がなんでまた国土交通大臣なんざやってるのだろうねえ。

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