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2002年7月20日 (土)

和泉元彌君に芸人の魂があるのなら


どんな道化を演じ様がタレントになろうが別にすべてどうだっていい。
でも狂言の芸を磨かないことには狂言師ではないというのは事実だと
その簡単な事実を受け入れてくれさえすればそれでいい。
茂山家の人たちや、野村家の人たちや、血筋でもなんでもないけれど狂言が好きで修業している人たちに対して、和泉元彌くんはやはり失礼だと思う。
ゴージャス松野もまた芸人ではあろう。ただ彼には狂言のようなベースはない。
元彌君にはある、という触れ込み出は無いか。
だったら他流試合をしたまえ。座長公演もいいが、狂言の公演を能楽堂でも行いたまえ。それができなくなったのも、ご自身の不徳のいたすところではないか。

というか、もう狂言師などと名乗るのをやめればいいのに、と思う。芸能界で普通に生き延びていくだけのはったりは十分手に入れたのだし。

というかもうその道に向かっているな。
でもその手の芸人はそろそろ仕事がなくなるよ。
これから日本で仕事があるのは、きちんと芸のある狂言師たちだとぼくは思う。

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