人は老いるもの、皺くちゃになるもの。
だから人生には辛さもあれば味もある。
「痩せたい綺麗になりたいそうすれば人生が変わる」
これは愚かなものの考え方なのだが、ドグマに毒された洗脳頭には理解できなくなってしまう。痩せて綺麗になれれば、死んでもいい。その論理矛盾には冷静になれば誰でも気がつくのだが、幻想を抱いた当人には冷も静もない。
肥満に悩んで二十年、ちっとも痩せない私などが言っても説得力はないだろうが(^^;)、痩せたって人生は変わらない。綺麗になったとしても変わらない。いや、綺麗になんてなりゃあしない。外見いじっても、そこにいるあなたはあなたのままだってことは、ご自分自身が一番知っている。容姿端麗が有利な世の中、それは当たり前。そういう世界で端麗でなく生まれつく(こちらが圧倒的多数)、そこからどういう人生を見つけるのか? が人間。そしてまた、ある時期にはホルモンバランスなどで人生最大の魅力発揮の時期を迎え、そしていつしか老いて皺くちゃになって死んでいくのが人という動物。あらゆる人工的な力でそれに抵抗したい、としてきたのが権力者という奴で、秦の始皇帝からはじまって、現代のハリウッド的な世界観まで、薬や遺伝子操作やロボット技術、クローン技術などで永遠の生命、不老不死が得られるのではないかと夢を見ている。動物が人間のようになったり、ロボットが人間のようになったり、不死を約束する会社で寝ている間の夢をテーマにしたり、ハリウッドの気持悪さは今現在絶好調だ。
自然に生きることの辛さと気持ちよさ。その中にいることの不安定と座りのよさ。その両方を感じることが、生きるという事だったはずなのに。もちろん、そんなのヤダというわがままもまた、人間という動物の大きな特徴であるのだが。
| 固定リンク
この記事へのコメントは終了しました。
コメント