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2002年7月 6日 (土)

長野の議員たち、ことここに至っても


しがみつこうとする利権。明らかに、人間の命よりそれは重い、と信仰のように考えられている。
治水の問題は確かにある。だが、だからダム、ではないはずだ。
しかしそこに急所はないようだ。この利権はちょっとやそっとのものではない、それを守らなくてはならない、スーパーパワーが存在するっちゅうことかな。

知事は話し合いをしない、コミュニケーションに欠ける?
そのコミュニケーションとは美味しい話を分け合いましょうという利権だろう。
美味しい話の仕組みや気分に詳しい「康夫ちゃん」なら、わかってくれると期待もしていたのに、というところか。

中島史恵のお父さんは議場を退場した。そういうちゃんとした人の娘だから風穴あけに協力するのに意味があった。あの写真が問題になった頃、ちゃんと勝谷氏らはその点も指摘していた。そんな話をみんなナシにして、単に田中知事の失点に矮小化する報道は情けない。

これは同時選挙しかないと思うんだけどな。勿論、田中知事を支持する人々は全力をこめて候補者を出さなくてはね。

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