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2002年9月

2002年9月30日 (月)

時代は確実に変わりつつある。


地方からわきおこった変化は固い変化だと信じていい。
塩尻市の選挙結果について、高橋茂さんのメルマガより。
http://homepage3.nifty.com/s-takahashi/

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2002年9月29日 (日)

塩尻市の市長選で元県議敗れる


というのは大きなニュース。
K嬢の日記。
http://www2.diary.ne.jp/user/95992/

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2002年9月28日 (土)

腰を据えて。


サッカー、日本アンダー21代表とパレスティナの試合。
日本の若い子には、やっぱりどうも腰が据わってないって感じがすごくしてしまう。いや、偉そうに言ってるけど、ぼく自身が据わってないからよけいよくわかるんだよね。パレスティナの連中には、彼等流の腰の据え方があるし、韓国の人々にもそれはある。アメリカには流儀がたくさんあるみたいだけど代表選手ともなれば、それぞれのやり方で据えてくる。日本人でも、もちろん中田小野稲本高原中山クラスになればある。だから今の若い連中も次第に据わってくる、のだろうけれど。やはりもっともっと、若い頃から腰を据えることを基本に教え込まないともったいないなあ、と思う。ぼくは結局一生据わらないままに生きてしまうのかもしれない。とても残念だ。だいいちからだが心地よくない。人付き合いの下手さは自分ばかりじゃなく周囲みんなを傷つけてしまう。人間なんてそのままほっといたら不完全な生き物である。しっかりと儀礼でもって育て上げないと共同体が崩壊するし、個人はダメになる。いや人間なんてダメなものさ、とはぼくも思うけれど、ダメさの質が悲しいものになっていく。ダメがダメのままに立ち腐れていく。
今からでも腰を据えようと努力はする。でもダメな自分。それでも深呼吸して、腰を据えて、前を見る。

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2002年9月27日 (金)

誰かが水を狙ってる。


日本は水源豊かな国だけれどその水源をなにものかが買い占めていたらどうしますね? 安全と水はただだと思っている、といわれてきたが、水は戦略物資であるだけでなく今や貴重な商品である。ミネラルウォーターが高価で売られている、などということもあるが命永らえるに必要な水が商品になっている、ということの重要性を考えよう。これはエネルギー問題とも絡む。エネルギー資源で儲けているやつらがいる。これは今の世界を支配する人々と言ってもいい。彼等はその資産で今度は水を買い占める。穀物を支配する。食肉を支配する。支配の中には、品質管理も入ってくる。逆にいえばある部分の品質を落としたら貶めたりすることも入ってくる。そういう形でわれわれの命はすでに握られている。
このじわじわと締められているような感覚の淵源を解き明かすこと。「誰か」を白日のもとに晒すこと。

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2002年9月26日 (木)

アメリカの意図


をきちんと読み解くためにはやっぱり副島さんのサイトを読まないと。それも有料版。引用はできませんので、会員になってください。
http://soejima.to/
公開されているタイトルは、
----引用

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2002年9月25日 (水)

民主党


民主党はもう解散したほうがいいなあ。鳩山氏が再選されたこと自体がもうダメってことでしょう。中野幹事長なんて茶番を受け入れたら若手の民主党議員はもう何もできなくなっちゃうでしょう、恥ずかしくて。鳩山家の資産がなければやっていけないならそれはそれでやっぱりもう解散する理由になるでしょう。今のままいろいろな党派の残滓が党内政治を支配するなら、それは自民党、それも昔の自民党のクローンになってしまうし。解散して、意味のある政党を作るべきじゃないかな。このまま続けても何の意味もないよ。二大政党ありき、の二大政党論も全く論の体をなしてないしね。

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2002年9月24日 (火)

歌舞伎


雀右衛門さんの八つ橋を見た。
「籠釣瓶花街酔醒」という芝居である。こう書いて「かごつるべさとのえいざめ」と読む。籠釣瓶は刀の銘である。切れ味が「水も溜まらぬ」という洒落だそうだ。花街は吉原のことで、これをさとと読むのは、いまでも京都の祇園あたりで花街を里、それ以外を町と呼ぶのと同じだろう。酔醒をえいざめと読むのは古く酔うはえうと読んだから。これは佐野次郎左衛門という田舎の豪商がはじめてたずねた吉原で全盛の花魁八つ橋に一目ぼれ、すっかり馴染みとなり身請け話までおきるが、そうなると金づるがなくなると困った八つ橋の間夫や親代わりの男が八つ橋を責めて満座の中で次郎左衛門に愛想尽かしをする。その場では堪えた次郎左衛門、田舎に帰って身辺整理の後、妖刀籠釣瓶を携えて四ヶ月ぶりに八つ橋に会いに行く。もともとが最上の客だから八つ橋は謝る。次郎左衛門は最初変わらぬ優しい風情だったが刀を抜いて八つ橋を斬り、恥をかかされた恨みを雪ぐ。次郎左衛門は痘痕面で二目と見られぬ醜男、けれど金払いがよく礼儀正しく田舎ものだが粋もわかる、という吉原にとってはこれ以上ない上客。八つ橋も痘痕面を醜いと思って愛想尽かししたわけではない。無理やり強いられてしたのだ。八つ橋一人が悪いわけではない。
だから八つ橋は冷酷で嫌な女になってしまってはいけない。そこのところが雀右衛門丈は素晴らしかった。美しく感情もこまやかだが、それだからこそ次郎左衛門の心の闇の底の底までは見抜けない花魁を完璧に演じていた。なんと82歳の雀右衛門。ジャッキーと呼ばれる粋な役者である。

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2002年9月23日 (月)

エネルギー


結局、石油がわれわれの世界を狂わしているのか。
代替エネルギーについて、難しい、夢物語、といっているうちは何も動かない。
環境エネルギー政策研究所
http://www.isep.or.jp/
の飯田哲也さんが訳された「エネルギーと私たちの社会」は必読。
----引用

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2002年9月22日 (日)

地方都市で美味しいものを


食べに行くのはとても楽しい。
工夫をして、まじめに出される新しい料理。
サービスは一生懸命、ときには妙な杓子定規もあるけれど、それもまた納得できる。相手の顔を見ての失敗だったり杓子定規だったりするから、こっちも話のしようもある。東京の有名チェーンのマニュアル接待はときにすごく嫌味だったりするけれど、それはやはりこちらの顔をちゃんと見ていないからだろう。人を型でしか見分けない。そういう扱いを受けると心底疲れてしまう。そして値段は都会のほうが数倍高い。

地方都市で元気で美味しくて工夫している店を探すのはほんとうに楽しい。人と出会うのはほんとうに楽しい。日本はまだまだ、破綻しないとぼくは信じる。

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2002年9月21日 (土)

戦前が終わっていない部分


もはや戦後は終わって新しい戦前になっているというのに、やはり日本では前の戦争が終わってなかったということもやっぱりあったわけだ。あれだけいろいろなことが、1945年以降にあったというのに、あまりにも誤魔化しつづけてきた部分が今、時限爆弾として爆発しようとしている。民主だ平和だと叫ぶ勢力が、その裏に隠してきたもの。時が動き出さないように、古い箍が外れないように、慎重に微妙に卑怯に陰謀的におこなってきたこと。それが育てたどす黒い世界は、ときどき今までにも噴出してきていたが、ついにその大爆発が起ころうとしているのだろう。時は1975年ごろに大きく動いた。そしてその十年後ぐらいにまた。1989年にある時代が終わり、90年代にはオウムがあった。今年は爆発する年だった。

戦前が終わっていない部分の構造。銀行が崩壊し旧財閥の解体が最終的に進んでいる現在、旧い部分の核があらわになろうとしている。意外や旧い部分の核が形作られたのは割合最近であることもわかろうとしている。それは、旧い部分の体制というものが割合最近何らかのてこ入れによって再び固まったからであろう。旧い部分は現在世界を支配している勢力に、当然支配されている。自分でそう思っているかどうかは別である。

ぼくたちは夢を見つづけている。悪夢だったり淫夢だったアシッドな夢だったりする。ぼくたちはあまりにもひ弱で、世間知らずだ。旧い部分の崩壊は歓迎すべきことだが、それもプログラム済みの出来事だろう。あれよあれよという間に、またもや自分たちで作り出さなければならないはずの新しい日本が、誰かのプログラムの元にできあがってしまう。そして鬱陶しい、あるいは残酷な結末が待っている、のかもしれない。

せめてものこと、自分たちのことは自分たちで考えたいじゃないか。USAはそれを許さない、スゴい戦略を発表したが。

Brave New World.

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2002年9月20日 (金)

北朝鮮が潰れたあとのことを考える。その1


もはやそういう時がきている。
神浦さん。
http://www.kamiura.com/new.html

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北朝鮮が潰れたあとのことを考える。その2


勝谷氏
http://www.diary.ne.jp/user/31174/

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2002年9月19日 (木)

アジア人としてのアイデンティティーに立ち帰ること


関曠野さんが朝日新聞に。

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2002年9月18日 (水)

体制が終わるとき


はっきりしたこと、は北朝鮮はもうもたない、ということだ。どういうふうにランディングするのか、という段階になったということだ。
そのランディングは、大きな混乱とともに来るだろう。いやもうずっと長いこと、そのランディングのための混乱が続いてきたのだ、といえるだろう。日本国内政治とは、少なくとも在日韓国人、在日朝鮮人社会を含みこんでいる。ということは本当は韓国、北朝鮮両国政治を含みこんで言る。そこに起きてきたこと、起きていることは、日本にダイレクトに関係しているのだ。そこをずっと誤魔化してきた。あるいは混乱を利用してきた勢力があったわけだ。
その体制のすべてに、終りの日が来る。ぼくはもう昨日からずっと全身にざらざらしたものを感じている。鑢にかけつづけられているという感じだ。ぼく自身もちろん、その体制の中にいる。何か不気味な生き物の哭き声が聞こえてくる気がする。
神浦さんから引用を二つ。
http://www.kamiura.com/new.html

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2002年9月17日 (火)

支配者どもの政治の中で死んでいく


将棋の駒になんか誰もなりたくない。
自分の意志で家族を子供を作り、なにかを生産して生きていくこと。それが本来の人生なはずだ。

あらゆる意味で道具にされるのは嫌だ。気持の悪い網の目が覆い被さっているのは嫌だ。ましてそれで殺されるのは嫌だ。殺されて何かのシンボルになるのも嫌だ。肉親を殺されて身も心もずたずたにされるだけじゃなく、何かに利用されてしまうのなんて本当に嫌だ。

あからさまに道具にされた生命。
頭をたれて冥福をお祈りするしかない。
そしてそれを作り出したこの世の中の仕組みを叩き壊すためにできることをしていくしかない。

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2002年9月16日 (月)

消費ということ


橋本治さんの本を読むことは健康の根本である。

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2002年9月15日 (日)

敬老の日


9月15日が敬老の日なのは今年までで、来年からは9月第三日曜日が敬老の日となるらしい。成人の日や体育の日と同じってことだな。それで、9月15日は老人の日、ということになるらしい。敬老の日はもともと年寄りの日だったのを名を変えたようだがその由来は珍しく民間ベースのようで、兵庫県の山間の村で農閑期の気候のいい日を年寄りの日として敬老会を開いたりしたのがもと、なんていうことらしい。らしいばっかりだが。9月15日というのは聖徳太子が四天王寺に悲田院を作った日だっていう眉唾な説もあるらしい。
まあ要するに気持のいい秋の日、お年寄りに感謝をしようということなのだろうな。しかし日本は休日が多いな。夏にまとめてバカンスをとるよりは小さな連休がたくさんあるほうが日本向きなのかもしれないという気はするな。

敬老の日って由来なんだろう?と素朴に感じたので調べてみたです(^^;)。

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2002年9月14日 (土)

結婚式


出来ちゃった結婚以外で結婚することが昨今珍しいのは宇多田ヒカルも触れていた通りだが、結婚式にも金を使わなくなっているそうだ。そんな中できちんと婚約期間も取り出来ちゃったということではなくちゃんとした結婚式を仕事上の友人が上げたので行ってきた。いい結婚式でしたよ。なんとフレディ・ケンプの生演奏まであり。まあ業界だからね(^^;)。最近出た結婚式といえば恩人のお嬢さんのお医者さん同士の結婚と、アメリカ市民である従兄弟と白人のお嬢さんとの結婚。あとは番組プロデューサーとアナウンサーの結婚。ほとんどがキリスト教の結婚式だったがアメリカの結婚式だけは人前というか、なんかメーソンみたいな(^^;)結婚式だったのが印象的である。結婚式だけみていると日本人はキリスト教徒みたいだ。私立学校にキリスト教のが多いのはまあある意味後進国としては当たり前であるが。母方の祖父は山梨出身なのでもとは日蓮宗だったようだが、東京に出てきてキリスト教徒になった。幼子を三人抱えての盲目の鍼灸師暮らしの中でのことである。ぼくが親しく接した中で一番真面目なキリスト教徒だったような気がする。宗教は切実な問題であるだろうに、日本人は無謀に安易に付き合っている。安易過ぎちゃって、簡単にオウムなんかに騙されるやからも出てきたわけだ。しかしまあ、ガチガチのキリスト教国やイスラム教国にはない良さも八百万の神の国にはあると思う。その良さだけを活かす道もある筈なのだが。

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2002年9月13日 (金)

日本から失われてしまう前に


「たそがれ清兵衛」の試写会に昨日行ってきた。山田洋次監督70歳にしてついに念願の時代劇を撮る。時代考証を厳密にやり幕末の東北の生活感を徹底的に出そうとする態度が素晴らしい。そして山田監督の世界はやはり時代劇のほうがフィットすることも確か。まだまだこういう作品を撮りつづけて欲しい。

真田広之の素晴らしさはもう今更言うまでもない。今回は殺陣もまた素晴らしい。これもリアルなものを目指したそうで、相手役となる大杉漣、そしてなんと言っても田中泯の物凄さ! 役者として演技をするのは初めてというこの1945年生まれの舞踏家はホンモノの日本人である。世界的な舞踏家であり、本格的な農夫である田中泯。新人です、と舞台挨拶した彼の謙虚と豪胆が同居した面構え、惚れ惚れした。この人を見るだけでもこの映画見物には数万円の価値があると私は思う。
彼の田圃でとれた米を使った酒がある。
http://www.kaiunsake.com/products-m.html
「御日待家」という。

清兵衛は百姓仕事や内職をしながら病気の妻母、そして二人の幼い娘を養っている。そうしないと食べていけない平侍である。田中泯扮する余五善右衛門という侍もまた苦しみを抱えて生きてきた侍である。

宮沢りえがまたいい。着物のさばき、さまざまな動き。「遊園驚夢」では芸人で清末の世界の没落していく貴族の第五夫人となる女、にしか見えない動きをしていた。今回は200石取りのお嬢様ながら夫の暴力で離縁した、強烈な意志をもつ幕末の女性にしか見えない。ことさらな演技はない。だがえもいわれぬ存在感がある。こういうのを演技と言い、こういう人を女優というのである。

日本から失われてしまう前に。いま、ぼくたちは可能性の塊のなかにある。この瞬間瞬間が、大切な復活、再生、そして新生と誕生のときなのだ。そのはずなのだ。励まねば。道は見えているのだ。

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2002年9月12日 (木)

自分でものを考えるかどうか、のリトマス試験紙


このあいだの朝日新聞での橋本大二郎高知県知事の、田中氏と個人的に友人になれるとは思えないが、といった言葉を文頭においた長野県知事選挙の問題に対する原稿にはちょっと吃驚しまた微笑ませていただいたが、今日の日刊ゲンダイの俵孝太郎さんの原稿もよかった。とくにおかしかったのはポピュリズム批判を書いた人たちを評した以下の一文である。
----引用

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2002年9月11日 (水)

私は心が狭いので


テロを憎むことはできるけれどNYCのテロ・アニバーサリーの見事な演出には気持ちが萎えてしまう。テレビ番組を作る立場からすればおいしすぎるネタばかりのこの事件だがあまりにもおいしすぎるネタに塗れているところがどうよ?って感じある。

ブッシュが吼えまくるのはアメリカ人にはとっても素晴らしい効果があるんだろう。そうやって醒めた目で見る以外しようがない。

日本は日本の立場で考える。それをどこまで貫けるか、だ。

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2002年9月10日 (火)

ヨハネスブルク・サミット


日本ではあまりちゃんと報道されなかった。
http://www.johannesburgsummit.org/
十年前のリオデジャネイロでは、日系のセヴァン・スズキさんがスピーチした。
http://www.sloth.gr.jp/Severn-top.htm
リオでのスピーチ。
http://www.sloth.gr.jp/Severn1992.htm

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2002年9月 9日 (月)

奇数重なる日


奇数は陽数にてそのもっとも大なる九が重なる日を重陽とよぶ。本日は重陽の節句である。菊花酒などで長寿を祈ったりなんかする日である。五節句の一つで、日本では違うが香港などでは休日となる。この日には菊の酒を飲むだけではなく登高つまり高いところに上る事、ということもする。香港では新界などで登山するのだろう。畏友富柏村氏は今年はいかが過ごされるのだろう。
http://server2038.virtualave.net/fookpaktsuen/diary/september2002.html
重陽の登高に関する詩を集めたページを見つけた。
http://www.kisweb.ne.jp/personal/kokakuro/essay/010331chouyou/chouyou.html#a3
范成大の詩が好きだな。

そんな日にやってきたのはIMF。
http://www.bloomberg.co.jp/jp/news/mof.html?s=APXxENCLlgmiCbIJl
----引用

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2002年9月 8日 (日)

実は私は前向きなのである。


悲観的なことばかり書いているとか、自虐的なんじゃないかと誤解をされているかもしれないがじつはぼくはめちゃくちゃ根拠もなく楽観的で前向きな人間なのである。で、いまの日本の状態は大変だなあとは思うけれど、少なくともバブルのころよりは数千倍ましだと思っている。ほんと、あとはこれからの日本がどう動いていくか、ぼく自身をふくめたみんなの手に握られているのだと実感できる。長野だけではない。というか長野がありえたのはこの時代だからである。日本は変わったのである。そしてもっともっと変わっていくのである。
アンシャンレジームは崩壊するしか道はなく、事実いま現在崩壊を続けている。その破壊力は確かに恐ろしいが、まあ壊れてしまったものは仕方ないとして、新しい体制ができないほうが実は恐ろしい。

その体制がつまらないものにならないよう、無用なものにならないよう、この日本がつまらないここ百年間ほどの体制の崩壊につきあって崩壊してしまわないよう、やることが一杯ある、というのもいいことだ。

世界は毎日恐ろしい破壊攻撃にさらされている。人は数万数百万と理不尽に殺されていく。ぼくたちはファンタジーのような世界のなかに生きている。現実とは何なのか、を日々学んでいく、遺伝子は学んでも進化などはしないのかもしれない。それでもぼくたちは生きている、という事実からはじめてみる。

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2002年9月 7日 (土)

イラク攻撃は本気


そして宇多田ヒカルも本気。

このわけわからない未来が見えない時代に、確信は希望であり、希望は確信である、という宇多田ヒカルと紀里谷和明の宣言は美しい。そして切ない。
何故切ない時代になってしまったのだろう?

まあいい。新しい世界が生まれつつあるのか。
そのとき人は殺されるのか。いつものように?

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2002年9月 6日 (金)

丸ビルの強さ


いやー丸ビル。凄いじゃん。人がいっぱい集まって。
実態はさ、特に今のところ新しくない。新しい店もない。
でも、人が集まっている、ということには意味がある。

夜、某所で飯を食った。その店の、主人のおふくろさんがきていた。彼女は今年で78歳になる。戦争の時には、機銃掃射で怖い目にあった。その人が、今日のオープニングの丸ビルに、野次馬で出かけたと言う。

そう、丸ビルには100年の蓄積がある。
それを忘れてはいけないんだけど。

でもそれを忘れて、ぼくたちは株価を眺めている、のだろう。

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2002年9月 5日 (木)

世界がおかしくなっているときに


自分たちだけが安全だ、と思うのはおかしい。世界と自分は繋がっているからこそ、儲けることも幸福になることもできる。でも不幸になることもある。常にそれらは繋がっている。個別独自な出来事なんて、ありえない。

世界がおかしくなっている。人がいっぱい自殺している。ぼくはそれなりに幸福だ。その間にある問題点は何? いや、別に問題ではなくても、そこには何かが、ある。

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2002年9月 4日 (水)

ええと株が下がっているけれど


ぼくは自分の体調のほうが問題なのであまり考える余裕がない(^^;)。
橋本治さんは、もう資本主義が終わってるんだから、20世紀が終わってるんだから、あとは滅びるばかりだ、ともう二年前に書いている。

世の中では何かが起きている。
ぼくたちもこれから起きるしかなくなる。
そういうことなんじゃないか、って気がしてる。それだけ。

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2002年9月 3日 (火)

田中康夫を嫌うのは


インテリとかマスコミ関係者とかに多い。
それともちろん政治家。
思うに彼等は、もちろんパーソナリティが嫌いということはあるにしても、なんというか嫉妬心なんだろうな。政治家として今のところ人気抜群だし、ちょっと頭が動く人になら歴史に残るような凄いことだと分かることを次々に実現させてしまう。なんであのポジションに自分じゃなくてよりにもよって田中康夫がいるんだ?
そういう嫉妬。
これは実は根深いものだよね。田中康夫がこの二十年ほどの間にやってきた積み上げの内容が、現在の政治家としての活躍につながるものだとは、さすがにご当人も積み上げてた当時は思ってもいなかっただろうけれど、やはりその積み上げの中に彼の現在の政策もあれば哲学もある。インテリや政治家のみなさんは、自分の積み上げと彼の積み上げを比べてみる必要があると思う。好き嫌いを超えたところで、彼我の違いを認識する必要がある。なんで二一世紀になって田中康夫は改革者足りえるのか? なんで自分は違うのか? バブルそのもののようにみえた田中康夫の中にあった違うもの、とは何なのか?

田中康夫は自分をさらけ出しているんだから、材料は揃っている。みんな自分で考えてみたほうがいいと思う。嫉妬心を認めて克服するのは大変だろうけどね。

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2002年9月 2日 (月)

田中康夫氏の長野県政が日本を変える。


首相のリーダーシップで変わろうとしている日本と、田中康夫氏と長野県が足元から変わろうとしている状況との差をこれからは精緻に見ていく必要がある。長野県のことは本気で見つめていないと見逃すことになるので、ご注意を。テレビ、新聞だけではわからないことばかりなので、ネットや口コミや自分の足で見てくることが大事。
神浦さん。
http://www.kamiura.com/new.html

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2002年9月 1日 (日)

東京電力の件


告発者は元GEのアメリカ人。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20020831-00000077-mai-soci

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