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2002年10月

2002年10月31日 (木)

体が治ろうとする


人間の体は自分で治ろうとする。その力は素晴らしいものだ。驚くべきものだ。だから風邪をひいても薬は飲まない、というのが正しい。抵抗力は自然につけるべきで、抗生物質を摂取するのは体に悪い。ぼくは西洋医学の医師二人によって育てられたので、少年時代までは薬漬けであった。そのマイナスは、必ずやこれから先もぼくの体にあらわれてくることだろう。今は漢方的なもののうちのあるものと、サプリメントの類しか飲まないようにしている。ただし酒を止められないのでそのことがまたぼくの体を蝕んでいる。編集者としての仕事で知り合った某元女子アナの人(八木さんじゃないよ)が風邪をひいて、かえって自分の体が治っていくことを実感した、というメールをくれた。彼女がいま探求している世界は大変深いもので、なかなか形にするのには時間がかかるだろうが、きっと持ち前の好奇心で頑張ってくれるだろうと信じている。そのうち物書きとしての彼女の一面が世間から驚きの目で迎えられる日がくるだろうことを信じる。
体は治ろうとする。外科手術はなるべくしないほうがいい。ケミカルなものはなるべく口にしないほうがいい。自然のままから工夫したほうがいい。それはダムの問題など環境問題でも同じことだ。人間の体が本来持っている智慧を大切にしよう。自然の声に耳を傾けよう。雑音が多すぎて聞こえなくなっているだけなのだ。

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2002年10月30日 (水)

叫ばないと世界は聞く耳をもたない


拉致の問題は日本と韓国以外ではほとんど知られていない。欧米ではもちろん報道されているが大きさがまるで小さい。こういうときに大事なのは、日本のほうから英語でどんどんアピールすることだな、と思う。アメリカにとって小さい問題でも、これは大きな犯罪である。逆に、たとえば日本海を東海と呼ぼうなどというくだらない運動を、大声で世界に向けて叫ぶことでなんとなく厭な世界世論を作り出してしまうということを日本以外の国の人はけっこうよくやるのである。われわれとしては、これがどれだけ非人道的な犯罪であるのか、を英語でしっかりとアピールしていかなくてはいけないのだと思う。救う会全国協議会の英語頁をリンクして英語で軽く説明しておくだけでもずいぶん違うと思う。
http://www.asahi-net.or.jp/~lj7k-ark/english/top.html

叫ばないと世界は聞く耳をもたない。日本人はもっと叫ぶべきだ。叫ぶために英語にしろ中国語にしろ韓国語にしろフランス語にしろロシア語にしろ、もっと学ぶべきだなあ。勉強しようっと。

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2002年10月29日 (火)

エネルギー問題経済問題軍事問題


そのハザマで人間は毒を飲まされたり拉致されたりする。
昨日はエネルギー問題の勉強会に行き、今日は副島隆彦さんの講演に行った。いろいろなことが頭を駆け巡る。USAは大変な軍事国家、そして情報統制国家になっている。民主党の議員の飛行機事故による死は、日本の民主党の議員の刺殺とどこかでリンクしている、そう考えてしまう。

原発。北朝鮮がこだわる核開発。USAの思惑。それらを超えたところで、エネルギー問題の解決ができないか。できるはずだ。スロー・フード、グリーン・エネルギー。衣食住を今とは違うシステムで、決して豪華にではなく満たすことができるはずだ。

その前に、戦わなくてはやはりいけないのだろうか。

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2002年10月28日 (月)

政治の季節


いや投票率は低かったからそうじゃないんだろうけどさ。
masa氏の意見。
http://www6.plala.or.jp/masak12/

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2002年10月27日 (日)

山本夏彦さんの死を悼む


山本夏彦さんが亡くなった。この日記でも再三引用させていただいたが、私にとって山本さんはほんとうになくてはならない存在だった。お会いしたことは一回もない。ただ書物に接するのみだった。だが、面識のあるどんな方よりも、山本さんの書物には影響を受けた。歳が離れていても、面識が無くても、いやどんなに過去の人物でも、書物によって出会い、友に似たものと感じることがある。そう教えてくださったのも山本さんの著作だった。友に似たものはおこがましくとてもそうは書けないが、私の心にとって山本さんの著された書物はまさしく水や空気のようになくてはならないものなのだ。請い願わくはあらゆる日本語文化圏に生きる人々が、山本さんの全著作に触れる機会があらんことを。「無想庵物語」「私の岩波物語」「最後のひと」といった長編はもちろん夥しいコラムの数々をすべて読まれんことを。
日本人とはどういう人々か、どんな運命を背負って生きてきた人々か。歳若い頃にフランスで暮らされた山本さんが「ロバは旅をしても馬にはなれない」という諺をさかんに引用されたのはなぜか。大正デモクラシーの正体はなにか。四書五経の素読をやめた日本人が失ったものはなにか。花柳界のタブーのようなものを知らん振りした作家連中とはなにか。最晩年にはインターネットは世の中を変える恐ろしいものであると察した、だから私はインターネット使用を試みようと思う、と宣言された。ああこの人の知性、実行力、それを支えた美しい日本語。ものを書く人間であれば、山本さんの言葉に触れて揺さぶられないはずがない。山本さんが愛して止まなかったのはたとえば向田邦子の作品だ。なぜかを山本さんの言葉で知ることそのものが、日本語と日本の小説について知ることだ。
山本さんは雑誌「室内」を長く主宰され、ピークもなければどん底も無い、経営の名手ぶりを発揮された。このことがいかに偉大なことかを小さな出版社の経営に多少関わる身としては胸に迫る思い身が引き締まる思いとともに感じずにはいられない。ああもう書くべきことはあまりに多い。私如きが書いてもなにも伝わらない。請い願わくはあらゆる日本語文化圏に生きる人々が山本さんの全著作に触れる機会があらんことを。そして日本語の文化をこの世のなかが果てるまで伝えていかれんことを。

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2002年10月26日 (土)

残酷なことはよせ


北朝鮮のやり口は只管残酷だ。
横田さんご夫妻を翻弄しつくし日本人を愚弄しつくす。
植民地時代の恨みが根幹にあればそれは当然だと彼等は言うだろう。
それとこれとは全く別問題だ、と言ったところで聞く耳持つまい。それを根幹の哲学として数十年やってきた国家(のようなもの)なのだから。それを根幹にして日本から金を毟り取ってきた国家(のようなもの)なのだから。
キムヘギョンさんの一件にしてもそうだ。日本のメディアならあの映像は流す。そして視聴率を取る。それを分かっているからこその会見だ。こちらはそれなら内容について踏み込んでいく以外ない。バカじゃないから日本人は会見映像からさまざまな情報を感じ取る。喋っている内容だけではない。着ている服、表情、体格、その他もろもろ。彼女の父親が誰か、が明らかになる日もそう遠くないだろう。憶測でいろいろ考えることも現時点ですでに可能だ。残酷な話である。だがその残酷を乗り越える道はあるはずだ。現実とは残酷なもの、と考えている人々がいる。彼等こそが残酷な現実を作り出す張本人だと思う。北朝鮮の指導者は現実とは残酷なもの、と特に意識するまでも無いほどに根源的に考えている人物だと思われる。

時間を敵に闘うことは人間はできない。時間はすべてを持ち去ってしまう。時間を操っているつもりの権力者ほど醜くく恐ろしいものはない。外道非道が大手を振ってまかり通るのがいつの時代にも現実なのか、現実は残酷なものなのか?
冗談じゃない。

想像力が力を持つ世界でありたい、あるべきだとぼくは思う。
残酷さを感じ取る感受性、それを撥ね退け闘って行く意志力。
世界を変えていく実行力。

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2002年10月25日 (金)

新聞はもう滅びる


勝谷氏が文春時代以来ずっと朝日新聞を批判しているのはよくわかることで今日の日記でも舌鋒鋭く物申していらっしゃる。
http://www.diary.ne.jp/user/31174/
日本の新聞というメディアは世界に冠たるダメメディアだなとぼくも思っている。FTやワシントンポストやWSJなどの英語世界の新聞にはまだまだ価値がある。読めないので判断できないけれど他の言語の新聞にも見るべきものがあるというのは友人知人から聞いてそうだろうなと思っている。でも日本の新聞はダメだ。なぜダメかはたとえば山本夏彦さんの著書を読めばなるほどと納得できる歴史的な判断材料が書いてある。
さて数日前の天声人語が、タイムズの剽窃なりという話をmasaさんの日記より知る。
http://www6.plala.or.jp/masak12/
剽窃なりとの指摘は2ちゃんねる上にあり。
http://corn.2ch.net/test/read.cgi/mass/1035372689/42-44n
洒落になんねえ(^^;)。引用元を書いてあるからいい、という問題ではないな。ぼくのこの日記はかなり意識的に引用ばっかりで構成しているんだけど、それにはそれなりの理由も意味もあるんだよな。人の意見を自分の意見であるかのように書かないためには、まるまる引用してソースを示すのがマナーだと思うんだよな。
船橋洋一氏にも英字紙の剽窃疑惑あり。FTだったかな。新聞記者、長年海外一流紙の剽窃を恥として来なかったものと思われ。ぼくもFT宅配で読むようになってから、政治家や評論家などがあれれFTに書いてある通りのこと喋ってるよと気付くようになったが。
恥ずかしいやつらだな。

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2002年10月24日 (木)

対テロ戦争図解


masaさんの対テロ戦争図解は興味深い。
http://www6.plala.or.jp/masak12/polsci/ir/ww3/index.html
−−−−−−−−−引用−−−−−−−−−
このページの目的ははっきりしています。対テロ戦争に隠された大国の思惑を明かにすることで、読者の持つ世界認識を再構築すること。そしてこの世界が現在第三次世界大戦前夜であることを明かにすることです。

分析はいくつかの理論的前提をもって行われます。

・国家は統制の取れた理性的存在である。
・国家は自分の利益を最大限追求し、自己保存が危ぶまれた時のみ他国と協力する。
・国家の力は、常備軍の数と軍事技術に代表される軍事力、GDPとGDP per Capitaに代表される経済力、そして人口の多さ、領土の広さ、及び立地条件を合わせたものとして定義される。
・大国は小国の生殺与奪を握る。
・上記前提に例外はない。
これら現実主義の前提を鑑みることで、我々の持つ対テロ戦争の認識が大きく変わります。対テロ戦争の現在のフェーズでアメリカが望むものはアルカイダを潰すことではなく、新しい国際的パワーバランスを作ることにあります。そして、この新しいパワーバランスは地域ごとの二極化であり、将来的な脅威になり得るEUとロシアをチェックしつつ、地域覇権となりつつある中国を封じ込めることにあります。

また、この試みに於いて最も強調したい部分は、均衡確立へのプロセスの中で、中東、東アジア、そして南アジアで同時期に短期的な核戦争が行われる可能性が極めて高い、ということです。

しかし、均衡が確立されることは対テロ戦争の終焉を意味しません。あくまでもアルカイダが潰れなければ対テロ戦争は終焉を迎えず、アメリカ国内での核爆弾テロも起こりうるでしょう。こうした、均衡確立後の説明はこの連載では行いません。話を複雑にすることで、読者に無用な混乱を与えたくないからです。現時点で私が言えることは、アルカイダが存在する限り、アメリカは世界を自由に作り替える権限を持ち、我々が新しい世界システムの到来を見るまでアルカイダは生かされ続ける、ということだけです。
−−−−−−−−−引用終わり−−−−−−−−−
大変参考になります。

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2002年10月23日 (水)

いよいよやってくる痛みの時代


某陰謀系掲示板の某氏の書きこみから以下の毎日の記事について学ぶ。
http://www.mainichi.co.jp/news/flash/keizai/20021023k0000m020177000c.html 

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2002年10月22日 (火)

政治


結局政治というのは人質をとることか。人権とか自由とか民主主義とかいった美名は要するにカネのためのネタか。北朝鮮のろくでもない拉致とその後の二十数年間は消えてなくならない。時間も人質に取られる。自由という甘美な思い出もまた人質にとられている。いい政治悪い政治というが結局人をいいように扱うという点では変わらない。それを前提にして、悪い政治と対峙していくしかない。北朝鮮の現政権を崩壊させるにはどうしたらいいか。宮崎学さんは朝鮮労働党解体は左翼の義務だ、といっているが左翼には無理だろう。というか左翼右翼という考え方自体が朝鮮労働党を利している。いっぽうでアメリカの思いのままにされている現実もどうにかしなくてはならない。政治は汚くて醜いものだ。だが政治なくしては変わらないのが人間の世の中だ。眼を背けないことが大事になってくる。

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2002年10月21日 (月)

忠臣蔵


に感動した江戸の庶民は忠臣たちに感動したわけではなくお軽と勘平に感動したのである。寺坂平右衛門に感動したのである。お軽は猟師の娘で、平右衛門はその兄で足軽、武士扱いはされない身分。勘平は武士だったがお軽と色に耽ったばっかりにお家の一大事に居合わせず、塩谷の浪士の数には入れてもらえない。お軽はそんな勘平のために苦界に身を沈める。みんながこの時代の倫理や権力構造からはじき出された人々である。塩谷判官の短慮や高師直の邪恋などから起きた悲劇、理不尽な悲劇ながら仇討するのがこの時代の正義、その前にお軽も勘平も平右衛門も翻弄されるのだ。忘れてはいけないのは高師直と塩谷判官は同じ穴の狢であるということだ。彼らの統治などいやなものだったろう。今も国家はいやなものだ。アメリカもイラクも北朝鮮も中国もイギリスもイスラエルも。でもそれはもともとがいやなものなのだ。日本はそのいやなところから逃げ回ってきた。逃げ切れない人々はとんでもない目にあっている。忠臣蔵は忠臣になりたくてなかなかなれない人々の物語である。最初から最後までの忠臣なんて、いずこにいてもいずれにいてもいやな人々なのである。それを引き受けた上で、物語は始まるのである。

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2002年10月20日 (日)

言説が同じラインに並ぶとき


皇后陛下の言葉と拉致被害者の言葉が同じ階層で響く。
私の言葉とあなたの言葉が同じラインに並ぶ。
現実という怪物がいま、われわれの前に姿をあらわす。
戦争は近いと思う。もちろん煽る気はない。
この迫り来る足音が聞こえるか聞こえないかは、感受性の問題ではない。
アンテナは張り巡らせることができるはずだ。妄想と現実の間の壁が見えるか見えないか。隔離された自分がいったいどういう荒野の真中に放り出されているのか。

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2002年10月19日 (土)

手遅れで無いと信じたい


スロー・フード運動がずいぶんと盛り上がってきた。
首都圏の生産者などが集まったシンポジウム、今までとは熱気が違う。
数年前のITバブルのパーティにも似た熱気。
だがもちろん、これはバブルではない。ITバブルのときに提示されたものは実にお寒い技術ばかりだった。いや、技術としてはある程度確かなものでも、それが彼らが声高に叫ぶほどの価値があるとは到底思えない、そういう手ごたえだった。だが証券会社は踊った。彼らを食い物にして大もうけした。そしてもともとずたずただった経済は、マーケットはご臨終を迎えた。

農家の人たちにこの手のバブルはない。彼らが守り育ててきた農業には数十年の血と汗が染み込んでいる。数百年の智恵が息づいている。人間は資本主義の百数十年で、それまで数千年築き上げてきた文化を台無しにしてしまった。
そのことを総身で感じながら、スロー・フードを思う。
スロー・フード運動はお洒落なトレンドなどではない。アンチグローバリズムであり、資本主義の見直しなのだ。

手遅れではない、この世の中は変わる。まだぼくたちは生き延びられる。
そう信じたい。

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2002年10月18日 (金)

戦争が日程にのぼろうとしているのだろうか


アメリカから情報がいろいろと出てき始めた。小泉首相はアメリカの代理人としてだいぶ踏み込んだところまで話してきたのに違いない。
ブルームバーグより
----引用

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2002年10月17日 (木)

これは大変なことになる


イラクか北朝鮮かと前に書いたような気がするが、北朝鮮の方が先という可能性まで出てきた。核開発を自ら認めたとは。そしてそのことを二週間発表しなかったアメリカが、いまのタイミングで発表した理由は。小泉首相訪朝からなにから、飛び回っているアーミテージたちのねらいとは。次々に恐ろしげなことが発表される。アメリカは二正面作戦を言い出した。バリの爆発、フィリピンの爆発、そして北朝鮮。アメリカが北朝鮮を完全に滅ぼすことはもちろん予定通りだが、それが早まりつつある。北朝鮮は唯々諾々と滅びてはいかないだろうし、これから私たちは本当に厳しい正念場を迎えることになる。自分の頭で考えること。自分の頭で考えなくなったら、それは独裁国家の国民たちと同じ悲劇を自ら招くことになる。

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2002年10月16日 (水)

時間はもとには戻らない


神浦さん、昨日の最新情報から。
http://www.kamiura.com/new.html
----引用

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2002年10月15日 (火)

小泉発言


小泉首相の発言が何故か問題になっているが、実はもっと重要なことを言っているのを勝谷氏の日記により知る。
http://www.diary.ne.jp/user/31174/

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2002年10月14日 (月)

大日本帝国モデル


アメリカはイラクを大日本帝国モデルでいてまおうとしている、というネタは数日前に書きました。あれは統治の方法についてですが、統治の方法だけじゃねえだろう、と思っています。というかイラクという国の作り方からしてそのモデルだった気配あるかも。
とってもためになるMASAさんの日記より。連日でスマン。
http://www6.plala.or.jp/masak12/

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2002年10月13日 (日)

正確に世の中を見ること。


それに関してはいつも感服している帰国子女の大学生(あ、もう卒業したか)MASAさんのサイト「陽の社」。
http://www6.plala.or.jp/masak12/
その「政治日記」からいくつか引用。

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2002年10月12日 (土)

チョムスキーのドキュメンタリー


富柏村氏の10月11日の日記。
http://server2038.virtualave.net/fookpaktsuen/diary/oct2002.html

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2002年10月11日 (金)

ロシアの動きに注目しないと


北朝鮮とロシアの合同演習については神浦さん。
http://www.kamiura.com/new.html

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2002年10月10日 (木)

素敵なタイミング


田中さんにせよ小柴さんにせよ、今年じゃなくてもよかったわけで。
何よりも大事なものは素敵なタイミング、というわけで。

ノーベル賞に限らないけれど、そういうものは人を操り出し抜き弄ぶもので。

ノーベル賞ねえ。面白いよね。

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2002年10月 9日 (水)

やったね!でも流れは忘れないように。


ノーベル賞を取るってのは政治的な出来事なので。
面白いじゃない。

世界のなかでいま日本がどんな立場にいるのか、
なにが日本でニュースになるのか。
どうしてわざわざ今年だったのか。
なんでこのタイミングなのか。

とってもめでたいけど、それは忘れないようにしないとね。

「科学者」という本を書いた人間としては、
心の底からノーベル賞受賞の方々にはお祝いを申し述べさせてもらいたいと思います。

やったね!

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2002年10月 8日 (火)

世界を把握する


材料はでもずいぶんと増えている。
香港なる富柏村氏の日記。
http://server2038.virtualave.net/fookpaktsuen/diary/oct2002.html
----引用

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2002年10月 7日 (月)

ピカソとマティス


件の市長、なんとパリの白夜で右翼に刺される。命に別状はないものの、集中治療室。刺した男はレイシストで反同性愛の失業者みたい。市長はパリでは何十年ぶりかの左翼だからねえ。

ピカソとマティスという展覧会に行ってきた。いろいろと啓発されるところ多し。というかピカソにはいつも助けられるなあ。

フランスのタンカー、日本の経済、アメリカの思惑。
日本の経済は爆弾なのだけれどそれを抱えているぼくたち日本人はそのことにあまり気づいていなかった。まるで無声映画のギャグみたいだ。

ピカソの彫刻のパワー。原始的な能力は経済のシステムを超克する

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2002年10月 6日 (日)

罠にはまらないように。


パリの白夜、はどうも盛り上がってなかった気がするが、パリ中を回って取材したわけじゃないので、私には判断不能。

神浦さん
http://www.kamiura.com/new.html
----引用

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2002年10月 5日 (土)

だんだん世界で日本人が


相手にされなくなってきている、といろいろなところで聞く。若手国会議員のメルマガなどでも読む。パリは相変わらず日本人観光客が多い。というかいろいろな国の観光客がうじゃうじゃいる。ただ、どうも日本人の留学生が増えている気がしてしょうがない。料理やファッションなどいろいろな分野で。

もしかしたら日本の若い連中は日本に見切りをつけているのかもしれない。日本の今の社会に。世界に出て出て行ったきりになってしまうのかもしれないが、そんな彼らが日本というものを体のうちに抱えたまま生きていて欲しいなあと思う。

日本では和のブームだともいう。何度目だろうか。和はブームになるほど非日常になってしまったのだろうが、しかしあっという間に日常に戻ってくる可能性があるものでもある。

相手にされなくなる、って今までの相手にされ方が問題だったのだ。カネの切れ目は縁の切れ目だろう。そんな縁は切れたほうがいい。別の縁を作り直そう。

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2002年10月 4日 (金)

住むということ


観光旅行は気楽でいいなとつくづく思う。仕事の旅行で、いろいろと甘えられない状態だと、海外はほんとうに大変だ。現地の言葉もおぼつかないのにのこのこやってくるぼく自身が悪いのだが。ちょっとしたものを手に入れるのに足を棒にして街中を動き回る。もちろん、インターネットであたりをつけられるので昔よりはずいぶん楽になってはいる。ほんとうは地元在住の友人などに聞ければいいのだが、今回はみなさん忙しく世界中を飛び回っていてパリにはいないことがわかっている。

住むということにはたくさんの細かなことがふくまれている。ごくつまらないことあるいは当然与えられるものと思い込んでしまうようなことを確保するのは実に大変だ。東京にいるときにいかにぼくが何もわかっていず何もしていないかがよくわかる。ぼくは実際でくの坊で、何もできやしない。

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2002年10月 3日 (木)

首長のサガ


パリについたらそこらじゅうにパリの白夜と書いたポスターが貼ってある。なんでも今週の土曜に夜を徹したアートの祭りみたいなことをやるのだそうだ。去年当選したパリの新しい市長はなんだかアート系のことをやって目立とうとしているらしく、ほかにもいろいろやっている。たとえばドゥーマゴやサンジェルマンデプレ教会に囲まれたあたりをサルトルとボーボアール広場などと名づけてプレートを立てて喜んでいる。人はトップに立つと自分が何者なのかをいろいろな方法でアピールしたい、できれば歴史に名を残したい、いや歴史を変えてしまいたい。そう思うものなのだろう。与えられた条件によってどうやってその自分の刻印を刻むのかやり方は違ってくる。パリの市長はなんだかスタンドプレーに走り勝ちな人のようだ。東京の知事はパリの市長よりはるかに大きな権限と予算があると思うが、こちらの人のがスタンドプレーかどうかはいろいろと意見のあるところだ。スタンドプレーでは片付けられないものがある。田中康夫長野県知事はよくパフォーマンスと言われるが、彼の人間としてのスタイルは知事になる前も後も変わらない。政治のことだけでいえば、田中知事はむしろ冷静であり理性的であるといえる。首長のサガをサガだからと許さないでちゃんと評価すること、見張ることは大事だろう。パリの人々がいまの市長をどう評価するか。パリの白夜はどうなるのだろう。

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2002年10月 2日 (水)

誰も信じないような御託を並べるのは


もちろん確信犯だから、だろうな。受け取った日本側ももちろんこんなもの信用できない、と言うしかない。言い逃れが通用する、とは思っていないだろう。言い逃れが明らかな表現を使うのは、外交的なサインなんだろうが、それに対してこちらのほうは持っている外交上の玉が少ないので、ストレートに怒るしかないだろう。日本と朝鮮の間にある長い問題、がここでも罠になる。明治維新以来真綿で締め上げられるようにこの罠は極東に展開された。その展開した側の顔色を、北朝鮮はうかがっている。日本もうかがってはいるが、たてまえが邪魔してなにか靄がかかったようなうかがい方になっている。
さてこれから先どんな風に交渉が進んでいくのか。本当の売国奴の姿も同時に炙り出されていくことになるのだろう。

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2002年10月 1日 (火)

女優というもの


女優はよく男だ、なんていう。その通りだ、と思う部分はあるがしかしもちろんまったき男の心の持ち主じゃ女優は勤まらない。女優は美しい、しかし美しいだけじゃホンモノの女優とは言いがたい。人じゃない部分とあたりまえに人間である部分が混在している、どうしたら同じ生き物がここまで美しく繊細で感性豊かで残酷で悲惨で惨めで幸福で不幸になれるのか、そんなコンプレックス。
よくぞこういう人が生まれて生きていてくれる、と思うような女優。
そういう、スターが一人くらいいるというのは、日本の文化にとってありがたいことだ。この女優は成長する。まだまだ。

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