残酷なことはよせ
北朝鮮のやり口は只管残酷だ。
横田さんご夫妻を翻弄しつくし日本人を愚弄しつくす。
植民地時代の恨みが根幹にあればそれは当然だと彼等は言うだろう。
それとこれとは全く別問題だ、と言ったところで聞く耳持つまい。それを根幹の哲学として数十年やってきた国家(のようなもの)なのだから。それを根幹にして日本から金を毟り取ってきた国家(のようなもの)なのだから。
キムヘギョンさんの一件にしてもそうだ。日本のメディアならあの映像は流す。そして視聴率を取る。それを分かっているからこその会見だ。こちらはそれなら内容について踏み込んでいく以外ない。バカじゃないから日本人は会見映像からさまざまな情報を感じ取る。喋っている内容だけではない。着ている服、表情、体格、その他もろもろ。彼女の父親が誰か、が明らかになる日もそう遠くないだろう。憶測でいろいろ考えることも現時点ですでに可能だ。残酷な話である。だがその残酷を乗り越える道はあるはずだ。現実とは残酷なもの、と考えている人々がいる。彼等こそが残酷な現実を作り出す張本人だと思う。北朝鮮の指導者は現実とは残酷なもの、と特に意識するまでも無いほどに根源的に考えている人物だと思われる。
時間を敵に闘うことは人間はできない。時間はすべてを持ち去ってしまう。時間を操っているつもりの権力者ほど醜くく恐ろしいものはない。外道非道が大手を振ってまかり通るのがいつの時代にも現実なのか、現実は残酷なものなのか?
冗談じゃない。
想像力が力を持つ世界でありたい、あるべきだとぼくは思う。
残酷さを感じ取る感受性、それを撥ね退け闘って行く意志力。
世界を変えていく実行力。
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