山本夏彦さんの死を悼む
山本夏彦さんが亡くなった。この日記でも再三引用させていただいたが、私にとって山本さんはほんとうになくてはならない存在だった。お会いしたことは一回もない。ただ書物に接するのみだった。だが、面識のあるどんな方よりも、山本さんの書物には影響を受けた。歳が離れていても、面識が無くても、いやどんなに過去の人物でも、書物によって出会い、友に似たものと感じることがある。そう教えてくださったのも山本さんの著作だった。友に似たものはおこがましくとてもそうは書けないが、私の心にとって山本さんの著された書物はまさしく水や空気のようになくてはならないものなのだ。請い願わくはあらゆる日本語文化圏に生きる人々が、山本さんの全著作に触れる機会があらんことを。「無想庵物語」「私の岩波物語」「最後のひと」といった長編はもちろん夥しいコラムの数々をすべて読まれんことを。
日本人とはどういう人々か、どんな運命を背負って生きてきた人々か。歳若い頃にフランスで暮らされた山本さんが「ロバは旅をしても馬にはなれない」という諺をさかんに引用されたのはなぜか。大正デモクラシーの正体はなにか。四書五経の素読をやめた日本人が失ったものはなにか。花柳界のタブーのようなものを知らん振りした作家連中とはなにか。最晩年にはインターネットは世の中を変える恐ろしいものであると察した、だから私はインターネット使用を試みようと思う、と宣言された。ああこの人の知性、実行力、それを支えた美しい日本語。ものを書く人間であれば、山本さんの言葉に触れて揺さぶられないはずがない。山本さんが愛して止まなかったのはたとえば向田邦子の作品だ。なぜかを山本さんの言葉で知ることそのものが、日本語と日本の小説について知ることだ。
山本さんは雑誌「室内」を長く主宰され、ピークもなければどん底も無い、経営の名手ぶりを発揮された。このことがいかに偉大なことかを小さな出版社の経営に多少関わる身としては胸に迫る思い身が引き締まる思いとともに感じずにはいられない。ああもう書くべきことはあまりに多い。私如きが書いてもなにも伝わらない。請い願わくはあらゆる日本語文化圏に生きる人々が山本さんの全著作に触れる機会があらんことを。そして日本語の文化をこの世のなかが果てるまで伝えていかれんことを。
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