忠臣蔵
に感動した江戸の庶民は忠臣たちに感動したわけではなくお軽と勘平に感動したのである。寺坂平右衛門に感動したのである。お軽は猟師の娘で、平右衛門はその兄で足軽、武士扱いはされない身分。勘平は武士だったがお軽と色に耽ったばっかりにお家の一大事に居合わせず、塩谷の浪士の数には入れてもらえない。お軽はそんな勘平のために苦界に身を沈める。みんながこの時代の倫理や権力構造からはじき出された人々である。塩谷判官の短慮や高師直の邪恋などから起きた悲劇、理不尽な悲劇ながら仇討するのがこの時代の正義、その前にお軽も勘平も平右衛門も翻弄されるのだ。忘れてはいけないのは高師直と塩谷判官は同じ穴の狢であるということだ。彼らの統治などいやなものだったろう。今も国家はいやなものだ。アメリカもイラクも北朝鮮も中国もイギリスもイスラエルも。でもそれはもともとがいやなものなのだ。日本はそのいやなところから逃げ回ってきた。逃げ切れない人々はとんでもない目にあっている。忠臣蔵は忠臣になりたくてなかなかなれない人々の物語である。最初から最後までの忠臣なんて、いずこにいてもいずれにいてもいやな人々なのである。それを引き受けた上で、物語は始まるのである。
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