ケニアが常に負わされてきたもの
ケニアという国について、何を知っているだろうか?ぼくは何も知らない。
旧英領東アフリカの一部、60年代から70年代にかけてはかなり成功していた観光立国。モイ大統領の独裁に近い現体制、それでもほかのアフリカ諸国と比べればかなりましな状況。でもソマリアなど周辺諸国の内戦から武器をもった難民や民兵が流入し、テロリストたちが跋扈する状況になってしまった今日この頃。思い出されるのは1998年にナイロビのアメリカ大使館をアルカイダ関係と思われるテロリストが爆弾を満載させた車で襲い入り口付近で爆発した事件。今回とそっくりだ。死んだのは隣接するビルのケニア人が多かった。アメリカ大使館はほとんど要塞状態だったらしい。東アフリカにおける外交と軍事の砦だったと聞く。ナイロビでもっとも由緒正しいノーフォークホテルが爆破されたこともある。1980年の大晦日のことで、ノーフォークも今回のモンバサのパラダイスと同様ユダヤ系のホテルということでやられたのだ。直接的には、1976年のウガンダ・エンテベ空港でのPFLPハイジャック犯奇襲作戦を行ったイスラエル軍への補給をケニア政府が行ったことへの抗議というものだった。エンテベの奇襲作戦はこの手のものとしては大成功で、映画にもなっている。イスラエル軍の唯一の死者は首相だったベンヤミン・ネタニャエフの兄だった。ベンヤミンもこの奇襲作戦に参加していた。ウガンダ政府は例のアミンが元首で、親アラブだったから、この奇襲作戦は本当にスゴイものだった。ケニアの協力なしにはありえなかった。
ケニアに行くと、インド人、イギリス人、ユダヤ人、アラブ人が商売を取り仕切っている。最近は韓国人もけっこういる。キクユ、マサイ、トゥルカナ、ルイヤ、ルオ、カンバ、その他52はあるという民族のケニアの人々は、それぞれの誇りと文化を守れる人々は守り、都市化スラム化する人はし、英語キリスト教文化圏に入る人は入る。
そしてテロが起きる。観光は3年間は壊滅的な悪影響を受ける。外国からの暴力と資本はまたまたどんどん入ってくる。政府は弱体化を続け、治安は悪化する。一概に体制のせいとたとえば日本の記者は書く。
本当か?
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