書物というもの
出版業は小さい小さい産業である。山本夏彦さんは虚業であるといった。資産がない。机と電話さえあればできる。悪知恵が働けば成り立つ。詐欺のようなものだ。それを忘れてはいけない。だが、書物というものは価値あるものだ。詐欺でも価値がある。人というのは決して高潔でもなければ美しくもないものだ。やってきたことは嘘と揉め事に満ち溢れている。それでも、ときにはいいこともする。面白いこともする。そこに文化というなにものかがある。書物というものがあってそれは残される。テレビの時代になりインターネットの時代になっても、書物というものには価値がある。あったはずだ。価値のあるそれを作ってきたのは自分がやっている虚業が詐欺に近いものだと知っている人々だったとぼくは思っている。坂本一亀さんのような、畏怖を覚えるような大編集者は2度の倒産を経験した。何かを思い知る人が、あのような物凄い仕事をするのである。いま、大出版社や新聞社は何かを忘れている。いや、何かを忘れたことによって罰のようなものを受けていることを自覚している。
神保町の古本市にいった。今年は版元も一緒になってブックフェスティヴァルのごときものを催している。行きつけのタイ料理屋がトムヤムラーメンを売っている。この感覚はいい。書物を好きな人たちがぞろぞろとやってきている。手に取れるもの、プロセスがわかるものとしての書物。野菜のように作る書物。
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