商品としての情報
テレビというメディアでの情報は演出された娯楽である。ニュースだってそうだ。
もうずいぶん前から、バラエティとストレートニュースの垣根がなくなってきている。
小林信彦さんの「テレビの黄金時代」はあらゆる日本人必読だと思うが、テレビはまさに敗戦後の属領日本というリージョンを作った魔物なのだなあと感じる。テレビ番組を作る側にいる人間として考えるこむことの多い毎日である。
電波少年のカッパ騒動、ことがカッパなのだから洒落ですむだろうという発想。いや、それはもちろん、そうなのだけれど、テレビというメディアそれをとりまく活字メディアなどについてテクニック的にどうやれば面白くなり騒ぎになり商品になるか、ということをとことんまで追求してしまった人たちがそれをやると洒落ですまない部分を生み出してしまう、そのことについてあまりにも鈍感ではないか。エヴァンゲリオンの庵野秀明氏が、テレビというメディアは究極のサーヴィス過剰、でもヒットアニメを作るためにはサーヴィスサーヴィス、に邁進しなくてはいけない、というようなことをエヴァのブレイク当時に言っていたのをこのごろよく思い出す。もちろん情報は情報産業、マスメディアにとって商品である。そしてそれは扱い方のツボをほんの皮膜一枚誤っただけで大変なできごとをこの世の中にもたらす。忘れちゃいけない、くわばらくわばら。
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