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2002年11月24日 (日)

自分のサイズの範囲内でやっとこう


ほんとうなら素晴らしいことがおきそれを目撃しているのに自虐的にならざるをえないのは自分の精進が足りないからであり、こういうときこそ誤魔化さずにしっかりと反省するべきなんだよな、と思ってはいる。それでもなかなか反省しきれないのは残念な限りである。失敗について、しっかりと評価し反省し対策について熟慮しておかないというのは人として情けない限りのやり方である。

人生の成功失敗は途中で評価するものではないがやはりある区切り区切りでは反省していかないとまずいと思う。小室某氏の結婚式の中継など嘲うべきものだが、彼のごとき転変にあふれた人生は都度都度に評価がかわっていく。なれど本人は同じ人間、であるのかないのか。細胞そのものは、完全に別の人間にある程度時間がたてば変わってしまうのだ。

たいがいの古典的な警句は人生におけるきわめてありがたい救いのテクニックを教えてくれるものだ。いずれにせよ大事なことは急がないことだ。慌てる乞食はもらいがすくない。とはいえあまりのんびりしすぎているのも問題ではあろうけれど。ぼくはもともとのろまでタイミングの悪い人間なのである。そのことを何とかリカバーしようと頑張ってきたつもりだが、いやもういいや。のろまでタイミングが悪いままで、世の中をわたっていきながらそれなりであることを選んでいくしかないのだ。そこから努力をはじめるべきなのだ。そしてそれは、人とのつながりを大事にしていくことに必然的につながっていく。ずっと忘れていたことをぼくは思い出さなくてはいけないのだろう。

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