イッセー尾形さんの一人芝居
長いこと一つのことを、インデペンデントに手作りしつづけ、しかも時代の先端と常に触れ合いつつ、しっかりとした支持を受け、経済的基盤を確実なものとしていき、新しいチャレンジを行いつづける。
イッセー尾形さんたちがやっていることは、まさしく芸術の一つの見本、手本となることである。彼の「とまらない生活」の新作を見せていただいて、震えるような感動を覚えた。笑いはもちろんある。だがそのむこうにはさまざまな切ないものがある。切実なものがあり、怖いものがある。
一つ一つの作品は20分ほどのものだ。だが、彼の長い長い活動は、実は大きな叙事詩を書き上げていることなのだということに今更ながらに気付かされる。その叙事詩は肉体を持っている。それを続けてきた人間関係、コミュニティの維持。彼と演出の森田氏、そして森田夫人の三人のもとに集まってくる、学校に馴染めない若者たち。そんなすべてがイッセー尾形さんの肉体の叙事詩を作り上げている。そこにいるのは日本人たちだ。日本人たちはいま、神話的な危機のなかにいる。あらためてそれを感じる。でもわれわれにはイッセー尾形さんがいる。
いったい、誰が死んだのか?
イッセー尾形さんオフィシャルページ
http://www.issey-ogata.net/
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