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2003年2月24日 (月)

子がつく女の子


は頭がいいって、あの本、面白いよ。
メディア論を徹底的に、実用的にやっている。
子供に名前をつける、というコアなことがらについて、テレビの影響を受け出した世代の子育て論、これがなければ本当は日本と言う国のことはわかりません。
必読ですよ。
ある人の書評
http://www.asahi-net.or.jp/~zj7t-fji/b20020330.html
作者金原氏のサイト
http://www5c.biglobe.ne.jp/~plugless/
----引用

 おもしろいことに、彼女たちがどのようなパイプラインを選択するかについては、あらかじめ決まった傾向がある。学校での勉強・ファッション情報・告白・アニメーションなど、彼女たちが受信するさまざまな情報は、両親のマスメディアへの依存の程度によって、大きくコントロールされてしまっている。つまり、彼女たちの両親こそが、間接的に彼女たちの夢を決定していることになる。この部分に現代の情報化された社会特有の親子関係がある。マスメディアの浸透により、人間どうしの関係は、根本的に違ったものになりつつあるのだ。

 僕はこの現象を、女の子の「名前」の調査により発見した。情報は、その性質ごとに、受信者集団の「名前」の比率が異なっている。

 「名前」はいうまでもなく両親から与えられるものだ。そしてどうやら、名前の変化を追跡することで、マスメディアが両親に与えた影響を測定することができるらしい。受信者の「名前」の調査によって、社会の情報化の影響を、生の形で追跡することができるのだ。

 僕たちは、人間どうしでコミュニケーションできないとき、個人の性格に多くの理由を求めてしまう。そして、性格を変えさえすれば問題は解決されるという安易な結論に耳を傾けてしまう。しかし現代では、より大きな力が社会に加わってきており、この力を無視したコミュニケーション論は空理空論にならざるをえない。マスメディアと人間との関係の中にこそ、現代社会を解明するカギが隠されている。

 マスメディアの隠された力を解明することで、不透明な現代社会を、かなりの程度可視化することができるのだ。なにはともあれ、現代社会の謎の解明に、早速出発してみよう。
----引用終わり----

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