東京の落語が滅びたと
小林信彦さんは志ん朝師匠が無くなったときに感じたという。
東京の落語が滅びるということは昔の東京の言葉が滅びるということで、ここでいう東京の言葉は下町の言葉で志ん朝師匠や小林さんの使ってきた言葉である。ぼくはもちろん、使えない。とっくの昔に普通の東京在住者の間では滅びてしまっている言葉だ。だが、これができないと東京の落語というのは本来あり得ない。
朝日選書からこのあいだ出た小林さんの「名人」から抜粋。
「オリンピックが壊したのは街だけではない。東京の人間の証拠出ある東京言葉が消滅しつつあった。
地方の人間の流入ということもあるが、東京言葉を無意識にしゃべる人々、三味線をしゃむせんとしか言えない人々の死ぬ時期がきていた。ぼくの祖母もそうした一人で、この時期に没している。
戦火の中を生きのびた東京言葉が、このころ、消えたのは、コトバの研究家の間では常識になっているが、では、東京言葉によって成り立つ江戸落語はどうなるのか?」
結局最後の人志ん朝がなくなった時点で、江戸落語は滅んだのだ、と小林さんは感じる。そしてそのことは、落語という芸能一ジャンルだけの問題ではない、ということを書かれている。
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