ところで我々は歌舞伎をとっくのとうに失っている
山本夏彦さんの「かわいそうな戸板康二」で書いていること。戸板康二氏は福田恆存氏が嫌いだったというが、それは福田は新劇の劇団「雲」をやっていたが芥川比呂志と仲違った。もともと福田自身が文学座から芥川らを連れて出たのだが、去った芥川へのうらみつらみを長々書いた。それを戸板は品性が下劣だ、と怒ったのだ。
ここから引用。
「そんなに怒ることも驚くこともない。人はたいていそんなものだ。それより私は久保田万太郎はもと歌舞伎畑の人だと思っていた。新派は明治の歌舞伎である。その弟子である戸板も歌舞伎好きが嵩じて劇評家になったのだと思っていた。むかし永井荷風は役者よろしく不品行なるべし、家柄系図を重んずべし、階級は厳にすべしといった。菊五郎の子はいくら若くても菊五郎になれる。分裂騒ぎはおこらない。」
「だしぬけだが藤原正彦は一流独自の数学者である。イギリスで数学の教授たちと共に働いたとき、教授たちがシェイクスピアのせりふで互いにやりとりしているのを聞いて、日本の女子大で英文学を専攻しましたなどとゆめ言ってはならないと思ったという。
彼らがせりふでやりとりしたように、我らもついこの間までやりとりしていたのである。いまそれはあとかたもない。極端にいえばわずかに戸板康二とその知己の間にあるだけになったのである。大正十二年の震災をさかいにして歌舞伎は滅びたのである。それに代わる芝居はもうあらわれないのである。」
原文にぜひおあたりくださいませ。文春から出ている『「社交界」たいがい』に入っています。
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