滅びるということ
松井のニュースを毎日やるのはやめようよ。
何にもニュースないのに取り上げるのはやめようよ。
あからさまな商売は頭悪すぎるよ。
記者クラブもやめようよ。
ヨーロッパの記者から正式に抗議されたけどさ、日本のマスコミは恥ずかしいことばっかりしているよ。大人じゃないよ。
いや一人一人の資質の問題じゃないよ。会社員であれフリーであれ、優秀な人はいるしダメな人もいる。システムが腐ってたらどんなにちゃんとした人でも、ちゃんとしようのない部分が出てきてしまう。
まあ滅びる国のマスコミってのはこんなものだといわれればそれまでだけれど、滅びなくてもいいじゃない、いや実はとっくに滅びているゾンビ国家ゾンビ文化だと
してもいいじゃない。誇りと夢を取り戻したっていいじゃない。
などと思い自分自身の仕事振りにも忸怩たる所多々あるを改めて思い鬱々たる気分となりながらゆりかもめ車中必要あって石光真人編著「ある明治人の記録 会津人柴五郎の遺書」を読む。
「落城後、俘虜となり、下北半島の火山灰地に移封されてのちは、着のみ着のまま、日々の糧にも窮し、伏するに褥なく、耕すに鍬なく、まこと乞食にも劣る有様にて、草の根を噛み、氷点下二十度の寒風に莚を張りて生きながらえし辛酸の年月、いつしか歴史の流れに消え失せて、いまは知る人もまれとなれり。
悲運なりし地下の祖母、父母、姉妹の霊前に伏して思慕の情やるかたなく、この一文を献ずるは血を吐く思いなり。」
明治維新についていろいろ書くつもりでずっと準備をしている。魂に気合を入れなおさないとならない。
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