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2003年2月20日 (木)

文語文


山本夏彦さんの「完本 文語文」を皆さん是非読んでください。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4163562303/qid=1045787151/sr=1-8/ref=sr_1_0_8/250-1004133-2947450
あとがきから。
「完本 文語文」と題したが、これは私が文語文について書いた長文と短文をまとめたものである。事文語と口語に少しでも触れたものなら、しばらく迷ったが旧稿も収めた。例によって調べて書くことは学者諸君にまかせて、私は自分の見聞したことしか書かなかった。いわば実感的文語文である。これまで専ら文語文の「長」を指摘したものがないようなので、不備ながらこれを糸口にしたかったのである。
(中略)
文語文は平安の昔の口語が凍結され、洗練に洗練をかさねて「美」と化したものである。洗練の極次第に末瑣的かつ煩瑣になった、そこへたまたま明治のご一新である。横文字の進入をいかに消化するか、文語文は悪戦苦闘してにわかに生気をとりもどした。ここでは私の見聞した明治の文語を扱って、それ以上の昔にさかのぼらない。
(中略)
文語が口語に転じたのは「欲」である。口語ならかゆい所に手がとどくと思ったのが運のつきだった。横文字はとどくと思ってまねしたのである。中江兆民は西洋人はくどいといった。尾崎紅葉はもう分かったよと言った。言葉は少し不自由なほうがいい。時々はもう少しで分からなくなる寸前に分かるのがいい。分かったとたん胸なでおろすような快感がある。」
大きなテーマ、日本語を取り戻すこと。

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