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2003年3月20日 (木)

開戦の日


空気に満ち溢れる戦争のテースト。びりびりとする東京の町。
朝、どうなるだろうと思う運転手。報せがあれば道行く人にインタビューする為銀座の町に散るテレビのクルーたち。

番組の会議の中、流しておいたテレビ。米政府のミスリーディングで開戦はまだ先かと思い込んでいると、なにやらアブダビテレビが伝えてくる。

ブッシュはディスアーマメント、という。武装解除は日本にとってもある種の思い出だ。

会議を途中で飛び出しぼくは才能溢れる若いライターと取材をし、話をする。彼女はくだらぬ戦争とは別次元で、言葉にならない何ものかと格闘している。そしてその先には確実に、言葉にして昇華されるべき何ものかが予感されている。道が混んでいる。東京は戦争に欲情している。

戦争の面白さ。戦争のつまらなさ。見えるか見えないか。

新しくはじめる仕事で、新しいスタッフと顔をあわせる。リラックス、生活感、環境、カルチャー、ライフスタイル。戦争は無関係の番組だ。徹頭徹尾無関係の。

騒がしい東京をすり抜け次には尊敬する同年代のクリエーターの出版記念を落語とともに祝う。真打は「蒟蒻問答」でこの世界の現状を見事に茶にしてくれる。互いの誤解と見栄が悪魔的に響きあう。

ジャーナリズムのある種の根っこを変えてしまったある事件。その当事者と長いときを経てほんのちょっとコレスポンダス。ぼくはそれをある種のメルクマールと考えている、でもそこを強調したものを書くときはまだ先のこと。そんな人に会えると聞き移動するが遅参する。しかしまた別の方と出会う。

戦争は世界を終わらせない。ぼくは自分を終わらせない。

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