六本木ヒルズでは連日業界人のパーティーだ。行けば知る人人がいる。バブルの時代とそっくりだ。あのころはいた人が、死ぬか破産か失脚かで何人かいなくなっているだけだ。
これはもう何度も、そして何十年百年とかけて行われてきた街壊しの陳腐な一端である。陳腐であるまでに常態化させてしまったのが日本を動かしてきた連中である。ビルを建て、戦争や地震や経済破綻や自壊で破壊し、また建てる。もちろんそれは東京でだけ起きていることではないだろう。しかし東京は特別だ。その昔、アメリカ人のデザイナーと話をしていて、ニューヨークや欧州の都会は古い景観を守りすぎていてつまらない、東京はその点まったく新しい建物がどんどん建って面白い、素晴らしいですと言った。冗談じゃねえ。
東京を破壊しているのはそれを必要としている連中だ。彼等が必要としているものは、ぼくたちとは無縁のものだ。それはたとえば文化なんかじゃない。カルチャースクールに文化は育てられない、文化とはそういうものじゃないからだ。
どこかで見た風景をまた見る。十代二十代の子供の頃はまだものめずらしかったけれど、もはやそれがただの繰り返しであることを知ればなにやらあわれになるばかりだ。それをわかっていながら、あるいはわかる知能すらもたずに、建物を建て能書きをならべる「大人」たちが、子供の頃のぼくが信じていたほどきちんとものも考えていなければ大仰に枕詞を並べ立てていた趣味も嗜好も実は単純で浅薄だということを思い知ることは辛くて悲しい。
日本は破壊されつづけている。麻原に死刑が求刑されたけれど、案の定なにも出てこない。この事件をきちんと解決しなければ日本は新しい日本になることはできないだろう。新しい日本を作るのは、誰でもない、われわれだ。そういえば船橋洋一氏が日本のネオコン、というようなことを書いていたが、パクリだろうかと思ったらmasaさんの日本版ネオコンのほうが政治学的に意味があった。新しい日本を作るのは、今の日本を壊している連中ではない。われわれだ。
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