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2003年4月14日 (月)

言葉


山本夏彦先生の「完本 文語文」より。
「言葉は三度耳にした上でなければ口にしてはならぬというが、同じ著者の同じ本のなかで三度見てもそれは一度に数えなければならない。寺山修司はよく間違って使う、三度みたからよかろうと思って使うと間違いだと誰も言ってくれないから、それは通用するにいたる。
 もう通用してしまったのに「生きざま」がある。死にざまはあるが生きざまはないと言ってもけげんな顔をされる、どこがいけないと言われても困る。耳できいたことがないない言葉は言葉じゃないと答えれば簡単だが、今じゃ言葉はまず目で見ておぼえるものになった。奇しくもはくしくもだが、目でおぼえるからきしくもになる(親娘ともども)。三十になっても雪之丞変化をヘンカというものがあったが、誰も直してくれない。このたぐいを冷笑してくれるのは昔は中学生だった。「オイあいつ雪之丞へんかだとさ」。人は笑われておぼえることがあるのである。親が子を笑うのである、中学生が中学生を笑うのである、その程度のことで傷つくなら傷つくがいい。」

傷つくことを恐れていると、人間は孤立し発狂する。言葉狩りや傷の舐め合いの結果、日本はどうなったか。アメリカはどうなってるか。言葉の問題は人間存在そのものの問題である。

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