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2003年5月

2003年5月30日 (金)

当然やってきたアジア情勢大転換のとき


新しい時代は自分で作るもの。それならいいが、情報力がないと指を咥えてみているしかなくなる。米海兵隊が沖縄から豪州へ移るという大ニュース。神浦さんの文章を熟読する。
http://www.kamiura.com/new.html

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2003年5月22日 (木)

ほんとのことを見逃さないように


北朝鮮のミサイルなんかは日本製品で作られているらしい。「北朝鮮グッズ」がカルト人気らしいが、メイドインジャパンって書いてあるのがあるという。わざわざ書くのは冗談だろうが、日本製があるのは本当だろう。前にも書いたけれど、日本は韓国、北朝鮮、台湾、うっすらと中国、ささやかにロシア、というその昔植民地だったところとの関係はずーっとあって、北朝鮮や韓国なんかとはある意味で同じ経済圏、地下での繋がり方は一般庶民の考えているよりはるかに深そうに思える。
そのあたり前から囁かれていたけれど、いよいよあからさまになっていくのだろう。戦争になるのかどうかはまだわからないけれど、その前段は確実に粛々と進行しつつある。何時の間にか、というのでは迂闊すぎる。何がどう進んでいるのか、耳を澄ますときだろう。

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2003年5月21日 (水)

孤立した学問の罪


今までの定説よりも弥生時代のはじまりが500年ほど早かったのではないかという発表がなされましたが、この件に限らず、日本の考古学や歴史学はどうも独自にすぎて、周辺アジア諸国の歴史との間に齟齬がありすぎるのは前から不思議です。橋本治さんがその昔、韓国の博物館に行ったら銅鐸としか思えないものが馬につける鈴のようなものとしてあっさりと展示されているのに驚き、日本では謎とされているものが世界では謎でない、どっちが正しいということより以前に、なぜ日本人はそのことを全然知らないのだろう、というようなことを書かれていたような気がしますが、いやまったく。じぶんたちが独自で素晴らしい民族だ、と思い込むのは日本人ばかりじゃないし、民族の誇りというものは大事にするべきだと思う。しかし勘違いはカコワルイなあ。
日本ではどうも学問がいろんな意味で孤立しているように思う。学際なんていうことば自体、なんか恥ずかしい。いやもちろん学問だけじゃないんだけど。それにしても二一世紀に入り、いろいろなことの実情が露わになってきたのはいいことだと思う。それだけハードな時代に入ったわけだけれど、なんかスッキリしていいじゃない。というか今まであまりにもスッキリしてなかったよなあ。

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2003年5月12日 (月)

表参道でゴミを拾う


表参道にゴミを拾いに行く。
グリーンバードというNPOの活動に参加。
http://greenbird.jp/
渋谷区議にトップ当選したハセベケンさんがやっている団体だ。

ゴミを拾うことでいろいろなことが見えてくる。
圧倒的に多いのは吸殻だ。それからガム。そして何かのビニール包装。ペットボトル。見えないところにこそっと捨ててあることが多い。後ろめたいが、捨ててしまう。ゴミをそのへんに撒き散らすのは癖のようなもの、という気がする。ゴミを拾う活動に一回参加すると、捨てなくなりますよ、とハセベさんが言う。そうだろうなあ。規制や法律でどうのこうのすることじゃない、そういう押し付けじゃなにもはじまらない。彼らの意見は実に正しいと思う。そんな彼がトップ当選する。このことは石原慎太郎氏への300万票よりも実は意味が大きい。この風を知ることはとても大切だ。

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2003年5月11日 (日)

馬券生活なんか夢見ないように。


競馬はあくまで楽しみであって、馬券生活なんか夢見てはいけません。
伊集院静さんが人生自体が賭けだから競輪競馬はやらない、と言っている人にたいして自分の大切な人生を賭けるバカがあるか、と切り返したそうだが、全くその通り。遊びとしてやるから競馬はいいのである。遊びの範囲がどこからどこまでか、は人によって違う。そこの決め方が人間を決めていく部分はあると思う。

競馬で巨万の富をスルことはできる。それはそれで遊びの範囲なのである。人間は遊ぶ動物なのだ。そしてそれは病気のようなものなのである。治らないのである。人間が子どもであるとの説に再三頷いてしまうのもこのことを考えたりするからなのだ。

ま、NHKマイルカップちょっとだけ取ったから考えたことなんだけどね。と自慢してみるテスト。

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2003年5月10日 (土)

サッカー日和


やっぱりサッカーは専用スタジアムだなあと、松本平に行って思った。
http://homepage1.nifty.com/skypark/frameset1.html
しかも一番前の席だったし。サッカーに浸るのも久しぶりだったこともあり、いい感じで頭の中にゲームの面白さが染み込んできた。やっぱり、ハードウェアは大事だなあ、と思う。専用スタジアム以外で見るサッカーは、塀の向こう側から見ている感じにどうしてもなる。

ゲームも面白かった。原竜太のゴールは美しかった。阿部のシュートも。サッカー観戦はいい感じに脳味噌を刺激してくれる。

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2003年5月 9日 (金)

東京の緑


ライター大橋マキと彼女のページの撮影のために都内の公園へ。彼女は昨日ロケハンをしてきたのだが、意外なくらい東京には緑があるので驚いたという。そう、東京はなかなか緑の多い街なのだ。
ぼくのうちの比較的近所だと、皇居がもちろんある。皇居の内部の、ぼくたちには入れないところには武蔵野がそのまま残されたようなところもある。イングリッシュガーデンもある。素晴らしい盆栽のコレクションー徳川家が持っていたものだろうーもある。小石川植物園もなかなかにすばらしい。その昔、幕府の薬草園だったところだ。
足を伸ばして白金に行けば自然教育園がある。戦前は陸軍の弾薬庫だったところだ。ここなど高速がすぐ横を走っているようなところだが、どこにいるのか忘れてしまう武蔵野な雰囲気だ。
林試の森というのもある。ぼくは行ったことがないけれど、ここも緑ゆたかだそうだ。その昔、畏友早川光氏が「東京の自然水」という本を出したことがある。あの当時はまだ採れた自然水、いまはどのくらい残っているのだろうか。氏のサイトをご参照。
http://www.water.ne.jp/

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2003年5月 8日 (木)

いつまでも幼児という厄介な動物


人間は大人にならずにそのまま老いて行く動物だという話を、東北芸術工科大学の竹村教授に伺う。5月18日の朝九時からJWAVEで放送される「ライフ@サファリ」のゲストにいらしていただいたのだ。
http://www.j-wave.co.jp/original/lifesafari/
人間の形は、サルの幼児と同じ。サルの場合は遺伝子のスイッチが入って大人になるとまるで形が変わる。人間の場合は生まれて何年も手助けなしには生きられないし、成長して形が変わるということもない。脆弱性はあるが、その分脳がいつまでもフレッシュで、好奇心を持ちつづけられるのだ、という。

納得する。だから、好奇心を失ってしまった人間は生ける屍になってしまう。脆弱なだけの生き物になってしまう。

厄介な動物だ。地球を滅ぼしてしまうかもしれない動物だ。でも、可能性もたくさん持った動物なのだ。

大事なのは謙虚になることだという気がする。

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2003年5月 7日 (水)

新撰組


今日某漫画家の方と打ち合わせをしていて新撰組は何が面白いのかわからん、という正論を聞いた。ただのバカじゃん、って。それはその通り。それはそれとして、三谷幸喜さんの来年の大河ドラマ「新撰組!」のキャストが発表されて、一部のバカな人は怒ったりしているらしいけれどかなりいいじゃないの。幕末の志士やその周囲に居た人たちはみんなかなり若かったのだけれど今までそれを無視するようなキャスティングが多かった。今回の、近藤勇香取慎吾、坂本竜馬江口洋介、芹沢鴨佐藤浩市、勝海舟野田秀樹、斎藤一オダギリジョー、久坂玄瑞池内博之、永倉新八山口智充、藤堂平助中村勘太郎、幾松菊川怜、その他優香、中村獅童、田畑智子などといった顔ぶれは悪くないぞ。バラエティみたいって言う話もあるけど、今テレビドラマを作るんだったら、こうなるでしょう。
歴史や歴史ドラマに関して、今までもたれてきたステレオタイプな認識はやっぱりダメなんだと思う。そのダメと較べればこのキャスティングは全然オッケー。
今回のドラマで出てくるかどうか知らないけれど、たとえばグラバー邸の死の商人、ジャーディン・マセソンの手先トーマス・グラバーは1838年生まれ、長崎に到着したとき21歳だよ。鳥羽伏見の戦いの年で30歳だよ。近藤勇は1834年の生まれだから、新撰組結成の1863年は29歳だ。なんかキャスティングに文句を言っている人はちょっとアタマの中をリセットして、当時の世界に対する考え方を組み立てなおしたほうがいいと思うよ。

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2003年5月 6日 (火)

テスラについて


白装束とオウムが引用したことで有名になってしまった(^^;)ニコラ・テスラですが、某陰謀系の掲示板で某人物が紹介していたテスラの研究者にしてまっとうなファン(ってのも妙な言い方ですが)で作家の新戸雅章氏のサイトがなかなか参考になります。
http://www.asahi-net.or.jp/~ve3m-snd/index.html

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2003年5月 5日 (月)

LOHAS


「LOHASのためのナチュラル・メディスン・ガイド」という特集を明日発売の「ソトコト」で作った。
LOHASについては、
http://www.kelliegreenedesign.com/LOHAS/about.html
http://www.pangea.co.jp/c-press/poco/poco10.html

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2003年5月 4日 (日)

人の体は壊れるもの


安全すぎるところに身をおいて、体にも周辺にも消毒を重ねて、薄氷を踏むような思いで健康に気をつかっているような人のほうが、体を壊したときに致命的なことになるのではないか。抵抗力、免疫力が低下してしまう。壊れたときに反応するべきところが正しく反応しなくなる。
人の体は壊れるもの、次第に衰えていくもの。その衰えを、さまざまな智慧、意識無意識の働きでなんとかカバーしていきながら、少しでも元気に生きていく。そういうふうに人の体はプログラムされている。体に悪いものも世の中にはある。その存在を消し去ることはできない。共存する方法を考えるべきなのだ。科学の無い時代、共存のための智慧は宗教的な体系、習慣による教えとして各文化圏でそれぞれに発達していた。次第に影響を及ぼしあってその体系は大きなものとなっていく。しかし西洋が科学経済軍事の面で世界を圧すると、その体系は主役の座から降ろされ、代替医療、伝統医療として残った。日本の場合はかなり漢方や日本古来の医療体系を無力化してしまったので、欧米以上に西洋医学べったりの医療制度になっている。それは、ケミカルな薬や手術によるスピード重視、ショートカットの医療だ。ショートカットは、無理を体に強いる。それがどうしても必要な場合があることは、勿論認めるが。
そしてそうした医療のもつ限界は近年どんどん明らかになりつつある。だからこそアメリカでは代替医療が大胆に取り入れられるようになったし、伝統医療の科学的な解明も進められている。
人の体は壊れるもの。もちろん、人間の科学が作り出した有害物質と共存することは危険だ。それは極力排除するべきだろう。BC兵器、核兵器などがそうした有害 物質の極北だが、強力かつ集中した電磁波も危険である。そうしたものとどうやって自分たちの智慧と力で戦っていくのか。そこもショートカットしてはいけない。確実に着々とやっていく必要がある。ショートカットとは、たとえば白装束である。彼らの異様さ、は人間の愚かさを拡大鏡で見せ付けられる異様さ恥ずかしさだ。彼等に対しては、2ちゃんねらーのようにからかう、というのが正しい対処法のような気もする。つまり、笑っちゃうということだ。笑うと免疫力があがる、というのは本当だ。

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2003年5月 3日 (土)

芸能の力


近松座の「関八州繋馬」を見てきた。近松の最後の作品である。人形浄瑠璃の大作で、歌舞伎としては昭和四十五年に一部が復活上演されただけで、今回が本格的なかたちでの初演ということになるようだ。平将門の娘小蝶を中心としたストーリーに構成されていた。将門が滅ぼされたあと、源頼光を仇と狙う将門の一子将軍太郎良門とその妹小蝶。小蝶は殺され、土蜘蛛の精と合体して亡霊として復活する、というような話なのだが葛城山の土蜘蛛といえば古代日本で天皇家や藤原氏と敵対していた古い豪族の寓意。それと将門の遺児たちが合体し、源氏と戦う、という反逆者物語である。将門、土蜘蛛は敗北していった日本の土着の勢力、源氏は当然源氏の子孫を名乗っていた将軍徳川家を思い起こさせる。人形浄瑠璃は江戸時代の庶民の楽しみ、歌舞伎へ翻案された作品も多く、傑作の数々の台本は複雑巧妙に構成され、見せ場に溢れている。作者は時代の空気の中、全力を尽くして受ける作品を造り出して行く。江戸の庶民は徳川の平和を満喫していたはずだが、この作品や仮名手本忠臣蔵などの世界を見ていると、徳川だとか武士だとかに対する心の平和は芸能の力によって保っていたのだろうなあと邪推せらるる。そういえば江戸日本橋生まれの歌舞伎台本作家四世鶴屋南北の最後の作品「金幣猿島郡」もねたは将門だ。
南北と近松では生きた時代も場所も違う。だからこそ面白い符号かとも思う。「関八州繋馬」の中に大文字焼の場面があり、大坂での初演の際大評判をとったが縁起が悪い、とも囁かれ、「浄瑠璃譜」によると

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2003年5月 2日 (金)

あまりにバカすぎ


毎日新聞のカメラマンの事件はあまりにバカすぎでもうどうにもならない。毎日新聞、つぶれてもおかしくないな。個人の問題ではない。
そういえばパレスティナで、日本人カップルが紛争のど真ん中に観光にやってきて呆れられたこともあった。呆けきった日本人、ジャーナリストも同じこと、ということか。戦場取材に限らない。いろいろな取材の場で、常識をわきまえない人たちを見てきた。それは、報道のためにときには手段を選ばず、ということはある。それについては、手段によっては認めるし、ぼく自身も無理をすることはある。しかしそういう問題じゃなく、ほんとうにただの手抜きや勘違いや非常識だったりするのだ。爆弾持ってきちゃうというのはほとんど論外だけど、地元の人たちが絶対やらないようなことを平気でやってしまう人もいる。最後まで気がつかないままで。

今回の件もあまりにもバカすぎで大変なことだ。これでまた日本人バカ伝説が世界中に広まっていく。そしてそれは現実だ、このカメラマン一人だけがバカなわけじゃない。

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2003年5月 1日 (木)

マサイの健康の素


大塚薬品が「マサイの戦士」というのを出していて、ケニア関連といえば黙ってないソトコトも当然注目。今、マサイの戦士たちが8人、来日してキャンペーンをやっている。5月18日には大江戸温泉物語でマサイがジャンプする。
マサイはウシを飼う遊牧民族。遊牧民族は、たとえばモンゴル民族がそうであるように、主な栄養源はミルクである。マサイの場合は、醗酵乳を主にとっている。そしてこの醗酵乳が滅茶苦茶体にいいそうである。詳しいことは「マサイの戦士」のサイトをご参照。
http://www.otsuka.co.jp/mss/
ほとんど醗酵乳ばかりしかとってないマサイ、それなのにWHOの調査によると超健康体。もちろん、醗酵乳のためだけではないだろうけれど、この食品の秘密は何だ?といろいろ考えて開発されたのが「マサイの戦士」。生乳に、植物性乳酸菌とカテキンという成分構成。甘くなく酸っぱくなく、確かにおいしい。
マサイの連中は、ニューヨークの市民に牛をプレゼントしたりしている。
http://www.hotwired.co.jp/news/news/20020611205.html

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