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2003年5月21日 (水)

孤立した学問の罪


今までの定説よりも弥生時代のはじまりが500年ほど早かったのではないかという発表がなされましたが、この件に限らず、日本の考古学や歴史学はどうも独自にすぎて、周辺アジア諸国の歴史との間に齟齬がありすぎるのは前から不思議です。橋本治さんがその昔、韓国の博物館に行ったら銅鐸としか思えないものが馬につける鈴のようなものとしてあっさりと展示されているのに驚き、日本では謎とされているものが世界では謎でない、どっちが正しいということより以前に、なぜ日本人はそのことを全然知らないのだろう、というようなことを書かれていたような気がしますが、いやまったく。じぶんたちが独自で素晴らしい民族だ、と思い込むのは日本人ばかりじゃないし、民族の誇りというものは大事にするべきだと思う。しかし勘違いはカコワルイなあ。
日本ではどうも学問がいろんな意味で孤立しているように思う。学際なんていうことば自体、なんか恥ずかしい。いやもちろん学問だけじゃないんだけど。それにしても二一世紀に入り、いろいろなことの実情が露わになってきたのはいいことだと思う。それだけハードな時代に入ったわけだけれど、なんかスッキリしていいじゃない。というか今まであまりにもスッキリしてなかったよなあ。

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